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| 砂本貞吉(1856-1938)は、1856(安政3)年己斐に生まれる。18歳で航海士を志し、海軍に入隊した。航海術の向上を求めて渡英を計画したが、26歳の時渡米しサンフランシスコで牧師ギブソン夫人に出会い、この地で神学と英語を学び、30歳で帰国。以後キリスト教の布教に尽力し、流川教会の基を築く。また他方、子女の英語教育に努め、1896(明治19)年広島女学会を創設。翌(1897)年英和女学校。1896(明治29)年広島女学校とし、1932(昭和7)年広島女学院と名を変え、現在に至っている。全国を布教し、1938(昭和13)年東京で病没。 |
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| 交流ウォークの街角探検隊員として、本番のまちづくり交流ウォークの前に街歩きをするのですが、己斐地区を探検したときに立ち寄ったのです、女学院関連原爆慰霊碑などをわたしは訪ね頁にしていましたが、この女学院創立者砂本氏のことは知らなかったのですが教えていただきました。 |
| 06.11.15裕・編集 |
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