|
南区比治山公園の比治山(市民)墓地に建立されている「ゲーンス先生の墓」です。 |
市民の友 学院の母 ゲーンス先生ここに眠る |
生地:米国ケンタッキー 生年:1860年4月23日 来広:1887(明治20)年10月12日
昇天:1932(昭和7)年2月26日 行年:72 在任45年 |
女学院初代校長ナニ・B・ゲーンス先生の頁を編集するとき、ゲーンス先生は、72歳で亡くなるまでの45年間、広島の地でキリスト教と女子教育のため働かれ、その働きに対し、広島市は、比治山に、当時は認められていなかった外国人の埋葬を、特例として認めたこと、ゲーンス先生の墓碑には、「Workers
together with God」と刻まれている事を知りました。 |
|
 |
|
比治山公園は何度もぶらり散歩していますが、比治山(市民)墓地に行ったことはありませんでした。一人で訪ねましたので、広い墓地でゲーンス先生のお墓を探すことは大変だなとは思っていましたが、一般的な日本のお墓とは違うだろうから何とか見つけ頭を垂れることができるのではと考えたのです。
墓地の端から半分ほど探しましたが見つからないな〜甘い考えだったなと思っていたときに目に留まったのが、ゲーンズ先生のお墓でした。浄土宗宗徒のわたしですが、南無阿弥陀仏と唱えることは控え、頭を垂れ黙祷しました、それからお墓の前のベンチに座って、乾いた喉をお茶でうるおし、一休みして、撮影させていただきました。 |
08.12.18裕・記編集 |