(NHK広島放送局) 平和への誓い〜被爆放送局の碑〜

  中区大手町のNHK放送センター前に建立されている「平和への誓い〜被爆放送局の碑〜」です。
平和への誓い 〜被爆放送局の碑〜

1928(昭和3)年に完成した初代のNHK広島放送局は、爆心地から約1kmの上流川(現在の幟町3-30)にありました。
1945(昭和20)年8月6日、原爆投下により放送局は壊滅的な状態となりましたが、翌日には被災を免れた施設を使って放送を再開しました。放送局は、翌年秋に修復されています。
NHKは、1960(昭和35)年現在の大手町に移転してきましたが、被爆した旧局舎は、1997(平成9)年に老朽化で解体されるまで、福屋百貨店幟町別館としてるようされてきました。
2005(平成17)年、被爆60年にあたり同建物の縁石の一部をここに保存し、被爆地の放送局として、核兵器の恐ろしさを世界に伝え、恒久平和の願いを永遠に受け継いで行く事を誓います。(この碑は原爆が投下された「午前8時15分」を表しています)

2005(平成17)年8月

(現在・広島市中区幟町3-30) 05.05.11.撮影
NHK広島中央放送局 (爆心地から約1km)
この写真の建物は、NHKのラジオ放送の開始に合わせて1928(昭和3)年に完成し、地域文化の向上に大きな役割を果たしました。1945(昭和20)年8月6日午前8時10分すぎ、警戒警報発令の放送にかかった時、原爆が炸裂し、放送局の機械は停止しました。在籍職員260名中34人がその日のうちに死亡しました。
戦後、福屋百貨店が幟町別館として利用しましたが、1997(平成9)年9月、老朽化の為解体されました。被爆の惨禍を後世に伝えるため、同建物の礎石の一部をここに保存しています。
2007年星野村の「平和の火」と平和記念公園の「平和の灯」を合わせてガス灯に灯された事を知って、NHKに行ってみたのです。
このとき、以前は広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑だけが建立されていましたが、慰霊碑周りが整備され、「モニュメント:ヒロシマの火 平和への灯」、この「平和への誓い〜被爆放送局の碑〜」、「広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑」が並んでいました。
2015年久しぶりに撮影しました。みると簡易とは云うものの手摺が設けられていました。
今回撮影した画像を加えこの頁を再編集しました。
15.03.27.再編集      07.12.16 裕・記編集

07.09.10.撮影
広島市中区大手町2-11-10 NHK放送センター

07.12.15.撮影
「午前8時15分」を表現したモニュメントになっています

07.12.15.撮影

15.01.22.撮影
2007年には無かった簡易の手摺がありました

15.01.22.撮影

15.01.22.撮影



「平和祈念碑等建立地一覧」編



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広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑
旧・広島中央放送局
  広島中央放送局・当時の位置
平和への誓い〜被爆放送局の碑〜
モニュメント「ヒロシマの火 平和への灯」
(広場モニュメント)坂上直哉作:宇の広場





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