はらみちをアトリエ(解体)

  東区牛田旭にある詩画作家はらみちをさんの自宅と「アトリエ」を取り上げました。
※2014年はらみちをさんの自宅であった建物、ここで取り上げたアトリエ共に解体されました。
はらみちをアトリエは、東区牛田旭にあり、お宅の裏山にピカドンたけやぶがあります。
「ピカドンたけやぶ」は、1945(昭和20)年8月6日原爆が投下された際、多くの市民が避難したと云われる竹薮ですが、はらみちをさんが創作された「ピカドンたけやぶ」という絵本でその名が広まりました。
「ピカドンたけやぶ」の頁として編集しましたが、はらみちをさん宅、蔵を中心にまとめていましたので、この頁を「はらみちをアトリエ」と改題した頁にしました。
はらみちを(1928-2021)
兵庫県神戸市生れ。脳性小児麻痺のため、お母さんに背負われて学校に通う。
1968(昭和43)年頃から母をテーマに創作詩画として独自の世界を作り上げる。
1970(昭和45)年中国新聞80周年記念論文「人間」最優秀賞。
2006(平成18)年4月はらみちを美術館三次市(旧君田村)に開館。現在広島市東区在住*。
2014年6月20日中國新聞報道で「はらみちをさん 三次市君田に移住」された事を知りました。
1968(昭和43)年から東区牛田に住んでいた自宅の借地がマンション建設計画地になったことで、高齢で一人暮らしだったので2014年6月19日「君田トエンティワン」(障害者支援施設)に入所。今後、はらみちを美術館などで詩画教室などを開いて過ごされるそうです。
「ピカドンたけやぶ」(の言葉)だけはなんとなく聞いたことがあるだけのわたしでした。
今(2008年5月)回交流ウォークで牛田地区を遊歩した時、ここも訪ねたのです。
わたしは広島に帰ってきた20余年前このすぐ近くに(牛田旭1丁目の借家に)住んでいたのですが、「ピカドンたけやぶ」がここのことだということを全く知らなかったのです。
帰宅後女房に「ピカドンたけやぶ」を見てきたことを話したら、はらみちをさんのこと、絵本のことを知っていました。
恥ずかしいことに家族でわたしだけが知らなかったようです。
当初この頁を「ピカドンたけやぶ」と題していましたが、2009年竹薮中心に撮影しましたので別頁に編集して、この頁を『はらみちをアトリエ』と改題しました。
2009年4月(蔵で(みることがある)鏝絵(左官が施主へのお礼と家の繁栄を願い左官鏝で描く立体絵)がある部分に絵が描かれており、よく見ると、はらみちをさんがよく描かれるお母さんの絵が描かれていましたので、撮影していました。
2014年新聞報道ではらみちを宅が借り屋で、マンション用地になって家屋が解体される事を知りました。
2015年久しぶりに「ピカドンたけやぶ」を見に行き、家屋・蔵などが解体されている事を知り、撮影しました。
この頁も過去のものとなりましたが、家屋が解体され「ピカドンたけやぶ」の全容がわかるようになっており、今後マンションが建てば見えなくなるだろうな〜と思いました。
跡地ですが撮影しましたので、画像を加え頁を更新しました。
2021年5月27日中國新聞で、はらみちをさんが5月12日三次市内の病院で亡くなったという報道で知りました。92歳の生涯だったそうです。21.05.28.追記
15.09.01.更新   08.06.04 裕・記編集

08.05.03.撮影
広島市東区牛田旭2-40

08.05.03.撮影

08.05.03.撮影
「母子曼荼羅 はらみちを」
この石碑に刻まれた文字がわたしは読めなかったのですが、はらみちを美術館でわかりました

09.04.04.撮影
普段は鏝絵がある部分に、はらみちをさんの絵がありました 裏面の絵(表側もほとんど同じでしたが)

08.05.03.撮影
はらみちをさん宅の裏山(ピカドンたけやぶ)
家屋解体後の跡地

15.08.22.撮影
はらみちをさんが住まわれていた家屋が解体され「ピカドンたけやぶ」全体の姿をみることができるようになっていました

15.08.22.撮影



「その他」編


「牛田・二葉の里附近」編



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(はらみちをさん関連頁)
ピカドンたけやぶ
はらみちをアトリエ
はらみちを美術館





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