林万寿人作:中井萬藏先生之像

  安芸郡坂町平成ヶ浜の現在:広島翔洋高等学校校内に建立されている「中井萬藏先生之像」です。
※像の作者は、林万寿人です。
中井萬藏先生は明治23(1890)年3月20日広島市において出生。道を教育に志し、広島師範、東京高等師範に学ぶ。大正14(1925)年5月、恩師中津守夫氏の提唱に基づき女子商業学校の創設を発意し、笹野雄太郎氏を理事長とする財団法人を組織して学校創立に着手、同(1925)年11月6日、広島女子商業学校を創立。昭和18(1943)年より理事長に就任、今日まで四十年間、学校の経営発展につくす
昭和20(1945)年8月6日弁ばくの悲運に遭い校舎壊滅、学校存亡の危機に際してはいち早く仁保町向洋丘上に仮校舎を建設、その後物心両面にわたる献身的努力をもって、現位置に復帰今日の学校発展の基をつくる。先生は誠実、情味深く信念の人、創立四十周年に際し、先生の功績と徳望とを永くたたえるため、ここにPTA、同窓会の総意に基づき先生の寿像を建立する。     昭和40(1965)年3月 建立委員長、PTA会長
校舎玄関横に建立された胸像でした。碑文があればと碑裏を拝見すると碑文板(上記)がはめ込まれていました。また、像の作者はと思いみると、像後ろに1964林万寿人と刻まれていましたので撮影し、この頁を編集しました。
10.07.04 裕・記編集

10.04.29.撮影
広島県安芸郡坂町平成ヶ浜3-3-16 (現在:広島翔洋高等学校校内)

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影
広島女子商業学校略沿革
1925 大正14年11月6日 (広島市)南段原町広島女子商業学校創立
1945 昭和20年8月6日 原爆で校舎壊滅
1948 昭和23年5月 学制改革で、広島女子商業高等学校となる
1989 平成元年4月 現在地安芸郡坂町に移転
2000 平成12年4月 校名を「広島安芸女子大学高等学校」に変更
2002 平成14年4月 校名を「立志舘広島高等学校」に変更
2004 平成16年4月 校名を「広島女子商学園高等学校」に改称
2008 平成20年4月 校名を現在の「広島翔洋(しょうよう)高等学校」に改称し、男女共学となる



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