広島翔洋ひろしま しょうよう高等学校

  安芸郡坂町平成ヶ浜に開校している(現在)「広島翔洋高等学校」です。
※1989(平成元)年広島女子商業高等学校がこの地に広島市内から移転してきました。
広島翔洋高等学校の資料をみると
『「未来を拓くチカラ」を学ぶ、新しい男女共学校、高い目標を(翔)、深い教育を(洋)、鳩とくじらをモチーフに2008(平成20)年4月坂町に誕生しました。自分の夢に向かって行き、他人に温かい人間であること、社会の中で生き生きと輝く人間は、偏差値の高さと比例するものではなく、画一的なものでもありません。新しく生まれた「広島翔洋高等学校」は一人ひとりの能力や個性を発見し、大切に輝かせ、自らの力で自らの夢に向かってやり遂げる、そんな生徒を育てるどこにでもなかった魅力的な人間教育の場を目指してまいります。』と(現在の)渡部政治校長が紹介されていました。
旧・広島女子商業学校略沿革 (現在)
1925 大正14年11月6日 (広島市)南段原町広島女子商業学校創立。笹野雄太郎理事長就任
1943 昭和18年 中井萬藏理事長就任
1945 昭和20年8月6日 原爆で校舎壊滅
1948 昭和23年5月 学制改革で、広島女子商業高等学校となりました
1989 平成元年4月 現在地安芸郡坂町に移転
2000 平成12年4月 校名を「広島安芸女子大学高等学校」に変更
2002 平成14年4月 校名を「立志舘広島高等学校」に変更
2004 平成16年4月 校名を「広島女子商学園高等学校」に改称
2008 平成20年4月 校名を現在の「広島翔洋高等学校」に改称し、男女共学となりました
原爆関連の慰霊碑「広島女子商業学校(職員生徒)慰霊塔」を拝見するので訪ねた現在の広島翔洋高等学校でした。慰霊塔を拝見する前に、校門入ったところに「頌徳碑」が建立されていましたので近づいてみたのです。学園創立30周年記念として建立された石碑でした(が中津守夫先生に関しては碑文がなく詳しい事は分かりませんでした)。また、中井萬藏先生之像も建立されていましたので、現在は学校経営が変わっているようですが、学校の歴史を大切にしている学校だなと思い、中庭に移設されているという「広島女子商業学校(職員生徒)慰霊塔」を拝見しました。これも現在大切に守られているようでした。
10.06.30 裕・記編集

10.04.29.撮影
広島県安芸郡坂町平成ヶ浜3-3-16 (現在:広島翔洋高等学校)

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影
中庭(広島女子商業学校職員生徒慰霊塔が建立されています)

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影

10.04.29.撮影
広島女子商業学校(職員生徒)慰霊塔 中井萬藏先生之像 中津守夫先生頌徳碑
(中井萬藏氏の恩師とか) 



「建物」編



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広島女子商業学校慰霊塔
広島翔洋高等学校
  林万寿人作:中井萬藏先生之像



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