(広島赤十字病院の)いまは枯死した被爆にわうるし

  中区千田町の広島赤十字原爆病院に過ってあった「被爆したニワウルシ」です。
※平成3(1991)年9月27日の台風19号で倒壊し、後に枯死したそうです。
この木(にわうるし)は、昭和20(1945)年8月6日の原爆で被爆したにもかかわらず40年余当・広島赤十字病院の玄関(前)で元気に葉をつけていました。
しかし、平成3(1991)年9月27日の台風19号の強風により根こそぎ倒れ、植え直すことは困難ということで、一部を保存しています。
爆心地から≒1,500m
            にわうるし (庭漆)
ニガキ科の落葉高木。中国原産。しんじゅ(神樹)の別名。
葉は羽状複葉。夏に枝の先に大きな円錐花序が出て、緑白色の小花を多数つける。雌雄異株。果実は披針形の翼果。
日赤には定期検査で、15年余通っています。この頁で紹介するモニュメントは横目で見るだけでしたので、2009年撮影したのですが、既に枯れた被爆したニワウルシの一部だし、鬼?が一部に彫刻してあるのでそのうち編集しようと思っているうちに1年以上が過ぎてしまいました。この度編集しました。
10.11.11裕・記編集

09.09.14撮影
広島市中区千田町1-9-6  広島赤十字原爆病院

09.09.14撮影

09.09.14モニュメント説明板にある写真を撮影

09.09.14原爆被災説明板を撮影
1945(昭和20)年9月川本俊雄氏が撮影され、原爆被災説明板の写真です
(旧・本館塔屋の)被爆した十字架
この赤十字は、旧本館の塔屋に掲げてあったものです。
旧本館は、平成4(1992)年4月に解体され、現在は、被爆した窓枠の一部が慰霊碑前にモニュメントとして、残されています。
爆心地から≒1500m
せきじゅうじ
赤十字
Red Cross
1)戦時に傷病者を救護する目的で設立された国際組織。現在では災害救護病院経営衛生思想
  の普及なども行う。スイスのアンリ・デュナン(実業家:1828-1910)の尽力により1863(文久3)
  年創設のための国際会議が開かれ、翌(1864)年国際的に承認され発足。
2)赤十字の組織の記章。白地に赤色の十字で表す。
  創設に貢献したスイスの国旗の配色を逆にしたもの。
05.05.02裕・編集

’09.09.14撮影
広島市中区千田町1-9-6  広島赤十字原爆病院

09.09.14撮影

09.09.14モニュメント説明板にある写真を撮影

09.09.14原爆被災説明板を撮影
平成4(1992)年4月に解体される前の写真 1945(昭和20)年9月川本俊雄氏が撮影たものです



被爆した樹木一覧」編


被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
広島赤十字病院原爆殉職職員慰霊碑
広島赤十字病院原爆被災説明板
被爆した建物保存
皇紀2600年記念碑
(枯死した)被爆にわうるし、十字架
原爆の絵を街角に返す会の碑
マルセル・ジュノー博士記念碑(壁付け)
圓鍔勝三作:調べ
柳原義達作:道標・鳩
流政之作:ユメコン
広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク


広島赤十字原爆病院(概説)





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送