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中区千田町の広島市健康づくりセンター健康科学館前に建立されている「広島高等工業学校・広島大学工学部創立75周年記念碑」です。
※現在、健康科学館東側道路沿いが“被爆クスノキ(22本)の並木”になっています。
もともと旧制広島高等工業学校の校庭に植樹されたものなのです。 |
蜘蛛手に注ぐ三篠のデルタの一劃 ここ千田の地に全国より二萬の若人 夢を抱いて集い語らい學んで巣立っ學び舎は 今や西條の地に遷って早くも十二星霜 ことし創立七十五周年を迎え 懐いひとしおあらたに記念としてここにモニュメントを建つ |
平成七(1995)年五月吉日
社団法人 広島工業会(広島大学工学部同窓会) |
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綿畑、いも畑、れんこん田、野菜畑であったこの地に、大正9(1920)年広島高等工業学校が創設され、広島大学工学部と移りその間、一時、夜間の広島市工業専修学校も併設された。(中略)
今工学部が東広島市へ移転するに当たり最後まで残っていた正門附近の石垣の被爆した石を集め思い出を語るよすがとして台を作り残すこととした。 平成元(1989)年9月 |
広島大学工学部の思い出として、この石積みを作り残されたことに対して感謝申し上げます。
千田町3丁目町内会長 池本孝司 |
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略沿革
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1920(大正9)年1月 |
広島高等工業学校(機械工学科・電気工学科・応用化学科)設立。
略称は「広島高工」 |
1929(昭和4)年4月 |
醸造学科設置。 |
1939(昭和14)年3月 |
工作機械学科設置。 |
1944(昭和19)年4月 |
広島工業専門学校(機械科・電気科・化学工業科・醗酵工学科)と改称。 |
1945(昭和20)年8月6日 |
原爆被災で校舎倒壊。 |
1949(昭和24)年5月 |
国立学校設置法公布で設置された広島大学に包括
(広島大学広島工業専門学校と改称) |
1951(昭和26)年3月 |
全生徒の卒業とともに廃校。広島大学工学部に引継がれる。 |
1982(昭和57)年 |
広島大学工学部が東広島に移転 |
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現在の千田公園に隣接して建設されている「広島市総合健康センター健康科学館」の前に建立されています。
広島大学が東広島市に移転する1982(昭和57)年までは、広島高等工業学校から広島大学工学部のキャンパスだった、そういうゆかりの地ということからこの碑が建立されています。
2020年コロナ禍の年でしたが、まだ感染が拡大していない時に被爆クスノキ並木を撮影しましたので、この碑も撮影しました。 |
21.01.01.更新 07.07.21裕・紀編集 |