(資料展示室の)広島市役所旧庁舎・定礎箱

  中区国泰寺町の現広島市庁舎前庭地階の資料室に展示されている「広島市役所旧庁舎・定礎箱」です。
旧広島市役所は、1928(昭和3)年鉄筋コンクリート造4階建、地階1階、延床面積8,890uで竣工しました。
定礎銘板には、廣島市長、助役(2名)、収入役、廣島市會議長、市會副議長、市會議員(36名)、土木課長、設計技師、監督技師、嘱託技師(2名)、請負人の名前が刻んでありました。その中で、名前を抽出すると(当時の14代)廣島市長・川淵龍起、廣島市助役・伊藤貞次(のち15代市長)の名前があり、また、設計技師・増田清、嘱託技師・藤野準、(工事)請負人・鴻池忠三郎(鴻池組初代社長)の名前をみました。
かわぶち りょうき
川淵龍起
1860-1941
十四代広島市長、1925(大正14)年8月-1929(昭和4)年8月
高知県出身。東京法律学校卒。
検事。1905(明治38)年広島控訴院検事長など。広島市長。
*新修廣島市史には、竜起と記述していますが、ここでは定礎銘板に刻まれている龍起を採用しました。
いとう さだじ
伊藤貞次
十五代広島市長、1930(昭和5)年5月-1934(昭和9)年5月
1878(明治11)年新潟県生まれ。早稲田大学専門部法律科卒。
1914(大正3)年富山県勧業課長。1921(大正10)年函館区助役。1929(大正15)年広島市助役。広島市長。
ますだきよし
増田清
1888-1977
建築家。福島県出身。東京帝国大学工学部建築学科卒。
安藤建設大阪支店勤務後、大阪府土木課勤務など経て、1924(大正13)年増田建築事務所開設。広島県との関りは、1923(大正12)年呉市立五番町尋常小学校の設計が始まり、1925(大正14)年広島市役所土木課建築事務の嘱託(年報3000円)となり、本川小学校設計。
ふじのじゅん
藤野準
1882−1933
機械工学者。愛媛県出身。東京帝大卒。
川崎造船勤務をへて、1912(明治45)年熊本高工教授。1920(大正9)年広島高工教授を兼任。1921(大正10)年広島高工機械工学科長。
こうのいけぐみ
(株)鴻池組
建設業。1871(明治4)年鴻池忠治郎が創業。1918(大正7)年(株)鴻池組設立、初代社長・鴻池忠三郎。1945年(昭和20)年運輸部門を鴻池運輸(株)とし分社、鴻池組は建設業専業となる。現在、鳳ホールディングス子会社の建築・土木会社、本社・大阪市北区梅田。
過去何度か見学した事がある広島市役所旧庁舎資料室でしたが、今(2010年3月)回は、展示品の中で「定礎箱」、銅板の定礎銘板に注目したのです。
それは、広島ぶらり散歩「広島ゆかりの人・歴代広島市長」編に市長の名前があることでその足跡がわかるのではないかと思ったからです。定礎箱に何を入れていたか説明文がありませんでしたが、貨幣が展示されていましたので当時の通用貨も入っていた事はわかりました。
この定礎箱は、定礎(石)の裏側に入れられていたでしょうから直接原爆の爆風を受けることがなかったとおもうのです、それゆえに現存しているのでしょう。爆心地から≒1020mで被爆したものである事は間違いないところでしょう。
 11.02.23裕・記編集

10.03.30.撮影
広島市中区国泰寺町1-6-34  (現庁舎前庭地階)

10.03.30.撮影
 定礎箱 定礎銘板

10.03.30.撮影



「資料館など」編


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