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中区本川町の善応寺に残されている「被爆した石鳥居、墓石」をこの頁で取り上げました。 |
資料に、墓石、鳥居が被爆した構築物として記載がありましたので、頁として編集しました。 |
爆心地から≒510m 被爆当時町名は左官町でした。 |
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広島原爆戦災誌によると |
左官町は、本川地区に含まれ、空鞘町、鷹匠町、土井之内、鍛冶屋町、塚本町、十日市町、北榎町、榎町、猫屋町、西大工町、堺町と一緒に記載されています。
『本川地区は被爆直前、1917戸1930世帯、住民数7720人』で原爆炸裂時の被害状況は個別に記述があり、『左官町は、家屋被害・全壊99%、半壊1%。人的被害・即死者91%、負傷者4%、無事5%』だったそうです。
そんな歴史は紐解かなければわからないような現在ですが、墓石をみれば被爆した当時のものと一目でわかるものも大切に供養されているようでした。 |
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2002年左官町周辺縁故者原爆精霊供養塔に頭を垂れたわたしでしたが、被爆した鳥居、墓石には目が向いていませんでした2007年資料で知り訪ねました。HPを引越している2011年になりましたが、2008年撮影していた画像を追加しました。 |
11.12.02追記 07.08.06裕・記編集 |