(本川橋の)ど根性・シンジュ

  中区堺町、猫屋町と中島町を結ぶ本川橋(橋桁))に育っているシンジュを取り上げました。
中國新聞で、「本川橋にど根性シンジュ」なる記事を2006年4月終わり頃みたのです。
『本川橋でシンジュ二本が育ち、今(2006)年も葉を出した。高さ1.85mと1.5m、太さは12cm。橋の中央付近で車道と歩道の間から伸びている。樹齢は五年程度。北側にある本川右岸の木から種が飛んで、橋板にたまった葉の腐ったものを肥料に育ったらしい。「さらに大きくなると根元の肥料や水分が足りなくなるので限界は近い」とみていると樹木医のコメントも紹介してあった』のです。
何につけても、ど根性ものにとんと縁がないわたしですが、平和記念公園に行ったときに撮影してみようと思っていたのです。(2006年)5月交流ウォークが終わって平和記念公園をぶらリ散歩してこの本川橋のシンジュを撮影しました。
晴天続きで枯れたかもしれないと
(2006年)11月1日撮影に行き撮影しました。
11月13日光市に移植された事を中國新聞報道で知りました。
根元は、枯れ葉や飛んできた土が溜まっていました。
おまけに捨てられたカップ酒のコップがあり取ろうと考えましたが、手が届く処ではなかったのです。
2006年11月になって交流ウォークの藤井さんと話をしていた時に、今(2006)年秋は雨が少なくこのシンジュの木が弱るか枯れていないだろうか、もともと親木あった(以前の台風で倒れ今はその跡は歩道になっている)中國新聞本社前のところに植えてやればいいのにという話題になり、撮影に行ったのです。枯れてはいませんでしたが落葉中でした。
2007年1月7日に近くまで行きましたので、本川橋をみたとき車道側のシンジュが残っているようでした。
2007年2月13日交流ウォークの方と近くまで行って残されていることを確認しました、光市に行ったのは歩道側にシンジュだけだったようです。
2007年になって光市に行ったシンジュは歩道側だけで、車道側はそのままであることを知りました。
神樹(しんじゅ)
ニガキ科の落葉高木。中国原産。
葉は互生で羽状複葉、長さ8〜10cmの長卵形または卵状披針形で先は鋭くとがり、基部に1、2個の歯牙があり、歯牙の先に腺点がある。枝は赤褐色、幼時は黄褐色、細毛あり。夏に枝の先に大きな円錐花序が出て、緑白色の小花を多数つける。雌雄異株。果実は長さ4〜4.5cmの披針形の翼果。ニワウルシ。
2008年報道で知ってから2年余経っていますのでそろそろ限界かなとみたのです。みるから大きくなっていましたが、青々としてまだまだ元気そうでした。
2011年原爆忌8月6日にみて撮影していましたが、編集していませんでしたので、2012年のいまになりましたが追記しました。
12.12.24.更新    06.05.23裕編集
   関連頁:本川橋   (親木と思われる平和記念公園内の)シンジュ

06.05.11撮影
広島市中区堺町(や猫屋町)と中島町を結ぶ本川橋を≒南西より本川橋をみました

06.05.11撮影
橋脚部分の上橋桁のところにシンジュが、わかりますか?

’06.05.11撮影

’06.05.11撮影
橋北側(歩道側)のシンジュ歩道橋からみてみましたので根元までみえました(こちらの方が車道側より大きいようです)

’06.11.01撮影

’06.11.01撮影
歩道側のシンジュ 車道側のシンジュ

06.05.11撮影
橋南側(車道側)のシンジュ2006年5月  (向こう・下流側の橋は西平和大橋)

06.01.07撮影

06.02.13撮影
車道側のシンジュ

08.09.04撮影
車道側の(残されている)シンジュ2008年9月

11.08.06撮影
車道側の(残されている)シンジュ2011年8月
本川橋は、1945(昭和20)年8月6日原爆で壊れ、同1945年9月の枕崎台風で落橋した。現在の本川橋は、1949(昭和24)年残材料を再利用などして鉄製トラス橋として架橋され現在に至っていると思っていたのですわたしは。
しかし、2006(平成18)年8月中國新聞の記事で、「1949年当時は物資不足の時代、橋の再建に空襲で壊滅状態となった旧光海軍工廠の廃材も使われたたことを知ったのです、そしてその縁でこの『ど根性シンジュ』に平和への願いを託し光市に移植する計画が進められていること」を知りました。9月2日平和記念公園を訪ねたときはまだ橋の両側に茂っていましたが。
関連頁:(旧光海軍工廠の鉄骨で再建された)九十九橋



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