(瀕死の状態)鶴見橋被爆樹木・シダレヤナギ
  今(2007年6月30日)日、中國新聞の所謂三面に『被爆ヤナギ 瀕死 老齢 水不足が追い打ち 南区 ・・・』と結構大きなスペースを割いた記事をみました。『葉の量が昨年夏から減ってきて、今年春から二度芽吹いた芽がいずれも枯れた・・・・』と樹木医の堀口力氏がこのシダレヤナギを見守り続け、水も定期的に与えている事も記事で知りました。
わたしは6月16日に立ち寄って撮影するとき、本体の(被爆した)シダレヤナギは枯死したのではと思ったのです。
写真を撮ると青々と元気なヤナギのように見えるのですが、それは根元から(後に)分かれたヤナギで、本体の部分は、ヤナギの寿命といわれている百歳を超え満身創痍という状態だったのです。
2006年に枯死して伐採された猿猴橋の被爆したシダレヤナギを思い出して沈んだ気持ちになっていましたので、編集は枯死が確認されてからと思っていたのですが、きょう中國新聞をみて瀕死の状態だった事などを知りましたので編集しました。
07.06.30裕・記編集
   関連頁:(鶴見橋)被爆樹木・シダレヤナギ

07.06.16撮影
本体部分のヤナギの枝には枯れた葉っぱだけが・・・

07.06.16撮影
離れて写すと青々と元気なようですが、根元から別れた部分のシダレヤナギが元気・・・

07.06.16撮影

07.06.16撮影
分かれた幹の根元をみてみました
原爆被災説明板の写真を使用しています
鶴見橋・原爆被災説明板  
爆心地から約1650m   
(被爆したヤナギ≒1700m)
被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。原爆の強烈な熱線により欄干など(※当時木造橋)に着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。シダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。
東詰めから撮影された鶴見橋とシダレヤナギ  1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影



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