(尾長の)三本松・地蔵尊

  東区尾長西の三本松町内会用倉庫横にお祀りされている「三本松・地蔵尊」です。
鎮座されているお地蔵様の由来がわかってきました。
近くに住んでおられた三田栄吉さんの息子・満雄さんが、1931(昭和6)年交通事故で幼くして亡くなった供養にということで建立されたそうです。
お地蔵様は、供養ということで最初は(今はない)吉野大師教の境内(愛宕踏切近くに位置していた)に建立され、後に尾長町片河新土手の長尾鞄店横に移されました。しかし、1968(昭和43)年8月新土手の小川に橋が架けられ道路となりましたので、三本松の根際に移されるとともに、三本松町内会の皆さんが維持管理を引き受けられ今日に至っているそうです。
※嘆かわしい事に、2008年夏お地蔵様の頭部を盗んだ「不逞の輩」がおり、現在新しい菩薩像をお迎えしたそうです。
このお地蔵さまの由来がわかり三本松の頁から独立した頁にしようと2009年7月になって訪ねたのです。
わたしは仏教を専門に勉強していませんが、現在お祀りされている石像は(地蔵菩薩ではなく)観世音菩薩なのではと思うのです。この頁を(三本松)地蔵尊との表題から(三本松)観音堂とすべきかとチト躊躇いがありますが、幼くして亡くなった方(満雄さん)が、賽の河原で苦しまないようにと願い地蔵尊を建立されたお父さん(三田栄吉さん)の願いを考え、そのまま(三本松)地蔵尊としました。
2010年7月7日もともと地蔵菩薩だったという事で、三代目に当たる新しいお地蔵さま(頭部)をお迎えしたという事を聞きましたので、お参りに行き、撮影しました。二代目だった観音菩薩は、(町内会で年一回催される法要をお願いしているという)多聞院で供養し、受入れて頂いたそうです。
10.07.09更新   09.08.11裕・記編集

05.11.03撮影
広島市東区尾長西1-7 (三本松町内会用倉庫横)

09.07.18.撮影

09.07.18.撮影

05.11.03撮影

09.07.18.撮影
2008年までの地蔵菩薩 (2009年現在)お祀りされていた観世音菩薩?

10.07.08撮影

10.07.08撮影
2010年7月(現在、新しく)お迎えした地蔵菩薩さまです。 
じぞうぼさつ
地蔵菩薩
釈迦の没後、弥勒仏が出現するまでの無仏の期間、六道で苦しむ衆生を教化救済する菩薩。
日本では平安時代から広く信仰されるようになった。密教などでは菩薩形をとるが、一般には左手に宝珠、右手に錫杖(しやくじよう)を持ち、頭を丸めた僧形の像で親しまれる。六道の救済に当たることから六地蔵の信仰が生まれた。また、子供を守り、幼くして死んで賽の河原で苦しむ子供を救済すると信じられて、子守地蔵子育地蔵などが生じた。
かんぜおんぼさつ
観世音菩薩
「観音経(かんのんぎよう)」などで説かれる菩薩。この名称は鳩摩羅什(くまらじゆう)の旧訳で、玄奘(げんじよう)の新訳では観自在菩薩。
衆生の声を聞き、その求めに応じて救いの手をさしのべる慈悲深い菩薩として多くの信仰を集めた。勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍。その住所は補陀落とされ、日本では那智山であるとする。慈悲の無限なことに応じた多様な姿で説かれる。観音(かんのん)。施無畏者(せむいしや)。



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