2004(平成16)年 「平和への誓い」


04.08.06.裕撮影
  この頁では子ども代表の「平和のへ誓い』を取り上げました。小泉首相の心こもらない挨拶の言葉を聞くと、平和への思いがいかに違うかがわかるように思いますので、「平和記念式典関連」編を再編集する今(2008年)回改めて、編集しました。

小泉首相退陣の後の改革の中身を検証する事無く混迷する日本国になり、日本人が自然と身についていたと思う「良さ」が失われていく世の中になりつつあるのではと思えてなりません。
間違いなく次の世代を担う子どもたちの言葉の中に光が見えるのではと・・・・
08.12.28更新      04.08.11裕・編集
 「生きたい、そして、みんなと幸せに暮らしたい」
そんな願いもむなしく12歳の少女が亡くなりました。
2歳で被爆し、12歳で突然原爆症と診断された佐々木禎子さんは、入院生活を送りな
がら「生きる」ために、最期まで望みを捨てず、願いをこめてただひたすら鶴を折り続け
たそうです。
59年前の8月6日の朝も、川と緑に囲まれた広島の街には、人々の変わらぬ生活があ
りました。戦争中とはいえ、それまでと変わらない夏の朝でした。
しかし、一発の原子爆弾は、そんな朝を人類が忘れることができない朝に変えてしまっ
たのです。
熱線、爆風、放射線などにより、その年の末までに14万人もの人々が亡くなっていき
ました。そして、その後も放射線による障害により、多くの人々が苦しみ、命を失ってい
きました。
佐々木禎子さんもその一人です。
わたしたち広島の子どもは、毎年夏が近づくと、禎子さんの意思を受け継ぎ、世界の人々
が幸せに暮らせることを願って鶴を折っています。
しかし、いまだに世界のどこかで戦争が行なわれています。
多くの人たちが日々恐怖に脅え、苦しみ、命を奪われています。
無数に埋められた地雷によって、多くの人々が傷ついています。
子どもたちまでもが武器を持たされ、戦いにかり立てられています。
そして、広島を焼き尽くした核兵器は、いまだに世界に存在しているのです。
戦争が生み出した悲しみは、憎しみを呼び、その憎しみがさらに深い悲しみを呼びます。
しかし、私たちが聴いた被爆者の方々の話は、憎しみではなく「こんな思いを、もう二
度と誰もしてほしくない。」という強い願いに満ちています。
私たちは、この被爆者の方々の願いを私たちの願いとし、平和な世界をつくる努力をし
ていかなければなりません。
ここ平和記念公園には、毎日、日本の各地や世界中の国々から折り鶴が届けられます。
その折り鶴を見ると、言葉、文化、宗教を越え、多くの人々が、平和への願いでつながっ
ていることがわかり元気が出ます。
私たちは、戦争も核兵器もない世界が実現し、子どもたちが平和であることに感謝の気
持ちを込めて鶴を折る日が来るまで、被爆の悲惨さや平和の尊さを語り継ぎ、世界へ伝え
ていく努力を続けていくことを誓います。
平成16(2004)年8月6日     こども代表
こども代表 広島市立段原小学校6 年 河田 早紀
広島市立亀山南小学校6 年 百合野 光哉
平和祈念式典で配付されているパンフレットより転記しました



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