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「生きたい、そして、みんなと幸せに暮らしたい」
そんな願いもむなしく12歳の少女が亡くなりました。
2歳で被爆し、12歳で突然原爆症と診断された佐々木禎子さんは、入院生活を送りな
がら「生きる」ために、最期まで望みを捨てず、願いをこめてただひたすら鶴を折り続け
たそうです。
59年前の8月6日の朝も、川と緑に囲まれた広島の街には、人々の変わらぬ生活があ
りました。戦争中とはいえ、それまでと変わらない夏の朝でした。
しかし、一発の原子爆弾は、そんな朝を人類が忘れることができない朝に変えてしまっ
たのです。
熱線、爆風、放射線などにより、その年の末までに14万人もの人々が亡くなっていき
ました。そして、その後も放射線による障害により、多くの人々が苦しみ、命を失ってい
きました。
佐々木禎子さんもその一人です。
わたしたち広島の子どもは、毎年夏が近づくと、禎子さんの意思を受け継ぎ、世界の人々
が幸せに暮らせることを願って鶴を折っています。
しかし、いまだに世界のどこかで戦争が行なわれています。
多くの人たちが日々恐怖に脅え、苦しみ、命を奪われています。
無数に埋められた地雷によって、多くの人々が傷ついています。
子どもたちまでもが武器を持たされ、戦いにかり立てられています。
そして、広島を焼き尽くした核兵器は、いまだに世界に存在しているのです。
戦争が生み出した悲しみは、憎しみを呼び、その憎しみがさらに深い悲しみを呼びます。
しかし、私たちが聴いた被爆者の方々の話は、憎しみではなく「こんな思いを、もう二
度と誰もしてほしくない。」という強い願いに満ちています。
私たちは、この被爆者の方々の願いを私たちの願いとし、平和な世界をつくる努力をし
ていかなければなりません。
ここ平和記念公園には、毎日、日本の各地や世界中の国々から折り鶴が届けられます。
その折り鶴を見ると、言葉、文化、宗教を越え、多くの人々が、平和への願いでつながっ
ていることがわかり元気が出ます。
私たちは、戦争も核兵器もない世界が実現し、子どもたちが平和であることに感謝の気
持ちを込めて鶴を折る日が来るまで、被爆の悲惨さや平和の尊さを語り継ぎ、世界へ伝え
ていく努力を続けていくことを誓います。
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平成16(2004)年8月6日 |
こども代表
こども代表 広島市立段原小学校6 年 河田 早紀
広島市立亀山南小学校6 年 百合野 光哉
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平和祈念式典で配付されているパンフレットより転記しました |
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