2007(平成19)年 「平和への誓い」

  今(2007)年、わたしはわずか6度目の(通称)平和記念式典出席ですが、昨年からは広島市作成のパンフレット(式次第など)の中に、「この平和への誓い」が掲載してありますから、式典前に読んでおいて、子ども代表が語りかけているときにまたパンフレットに目を落とすのです、広島市教育委員会の添削はあるとしても、ここのところ毎年出席する総理大臣の挨拶よりも心こもった言葉になっていると思うからです、ことしの平和への誓いの中で「・・・あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。・・・」との言葉が、わたしの融通の利かない狭い心にも響き渡りました。
07.08.10裕・記編集

07.08.06.裕撮影
こども代表、山崎さんと森君
 私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。
 あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙も出ないほど、心と体を傷つけられました。
 目も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。
 あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。
 これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。
 しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。
 それは生きる希望です。
 祖父母たちは、廃墟の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。
 今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるか、一日一食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。
 そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。
 嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。
 平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。
 途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。
 私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。
 私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。
 私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
 そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。
平成19(2007)年8月6日     こども代表
広島市立五日市観音西小学校6年 森  展哉
広島市立東浄小学校6年       山崎 菜緒
平和祈念式典で配付されているパンフレットより転記しました



平和記念式典関連頁・全体



広島ぶらり散歩へ
2007年平和祈念式典へ


平和宣言 2007年
「平和への誓い」2007年
安倍首相挨拶の言葉2007






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送