2008(平成20)年 「平和への誓い」

  広島市作成のパンフレット(式次第など)の中に、この「平和への誓い」が掲載してありますから、式典前に読んでおいて、子ども代表が語りかけているときにまたパンフレットに目を落とすのです、広島市教育委員会の添削はあるのでしょうがことしの「平和への誓い」もなかなかのものでした。
「・・・事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます・・・」との言葉がありました。
わたしは全くの無知からこの歳になってHPをつくり出しましたが云われる通りだと2人の小学生に教わる思いがします、少しばかり知ることが増えてきましたが知れば知るほどまだまだ知らないことだらけだな〜と・・・・
08.08.07裕・記編集

08.08.06.裕撮影
こども代表、今井さんと本堂君
 昭和20(1945)年8月6日午前8時15分。
 突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、数え切れない多くの尊い命が失われました。
 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。
 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。
 放射線の影響で突然病に倒れる人。
 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。
 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。
 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。
 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。
 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。
 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。
 みなさん、見ていて下さい。
 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。
平成20(2008)年8月6日     こども代表
広島市立幟町小学校6年    今井 穂花
広島市立吉島東小学校6年   本堂 壮太
平和祈念式典で配付されているパンフレットより転記しました



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