2009(平成21)年 「平和への誓い」

  広島市作成の式典式次第(パンフレット)の中に、この「平和への誓い」が掲載してありますから、(わたしは)式典前に読んでおいて、子ども代表が語りかけているときにまたパンフレットに目を落とすのです。
その中に「これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何でしょうか・・・」との言葉がありました。
わたし自身にできることはと考えながらこの言葉を聞いていました。
今(2009)年は、まだ訪ねていない、原爆関連慰霊碑が建立されている山陽高校日本銀行広島支店に行って、それぞれの慰霊碑の頁を編集するかなと、しかし過去を振返るだけで、(子ども代表が語っていた)前をみた小さな一歩にはならないな〜と思いながら2つの慰霊碑に頭を垂れ撮影させていただきました。
09.08.08裕・記編集

09.08.06.裕撮影
こども代表、遠山さんと矢埜(やの)君
 人は、たくさんの困難を乗り越えてこの世の中に生まれてきます。
お母さんが赤ちゃんを生もうとがんばり、赤ちゃんも生まれようとがんばる。
新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。
しかし、命は一度失われると戻ってきません。戦争は、原子爆弾は、尊い命を一瞬のうちに奪い、命のつながりをたち切ってしまうのです。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
それは人類が初めて戦争による被爆者をつくりだした時間であり、世界が核兵器について真剣に考え始めなければならなくなった時間です。

あの日、原子爆弾は、広島の街を一瞬にして飲み込みました。
建物は破壊され、多くの人々が下敷きになりました。人々の皮膚は、ボロ布のように垂れ下がり、「助けて」、「水をください」と何度も言いながら、亡くなっていったのです。それは、人間が人間らしい最期を迎えられなかった残酷な光景でした。
多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい、「闇」の世界でした。

世界の国々では、今も、紛争や暴力によりたくさんの命が奪われています。僕たちのような子どもが一番の犠牲となり、体に傷を負うだけでなく、家族を失い心に大きな傷を負っています。日本でもまだ多くの人たちが原爆の被害で苦しんでいます。入退院を繰り返す被爆二世の人もいます。だから、まだ戦争は終わったとは言えません。

これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何でしょうか。
それは、原爆や戦争、世界の国々や歴史について学ぶこと、けんかやいじめを見過ごさないこと、大好きな絵や音楽やいろいろな国の言葉で、世界の人たちに思いを伝えること。
今の私たちにできることは、小さな一歩かもしれません。

けれど、私たちは、決してあきらめません。
話し合いで争いを解決する、本当の勇気を持つために、核兵器を放棄する、本当の強さを持つために、原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます。
そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓います。
平成21(2009)年8月6日     こども代表
広島市立矢野小学校6年    矢埜哲也
広島市立五日市南小学校6年 遠山有希
通称平和記念式典で配付されているパンフレットより転記しました



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