潘基文国連事務総長挨拶 2010年

潘基文(パン・ギムン)(1944-  )
大韓民国、忠清北道出身。1970年ソウル大学で国際関係学士号取得。1985年ハーバード大学ケネディ行政大学院で行政学修士号。2008年7月ソウル大学名誉博士号授与。 2007(平成19)年1月1日第8代国連事務総長。
韓国政府部内と国際舞台で37年にわたる経験の持ち主。韓国・外交通商部長官を務めていた、外交通商部での経歴は長く、ニューデリー、ワシントンD.C.、ウィーン赴任を経験、青瓦台外交補佐官、大統領外交安保首席秘書官、政策立案担当次官、米州局長なども歴任。一貫して朝鮮半島の平和をビジョンに掲げ、同地域のみならず、世界全体の平和と繁栄に役割を果たしてきました。韓国が国連総会の議長国となった2001(平成13)年から2002年にかけ、総会議長・官房長を務め、9.11同時多発テロ非難決議の採択に貢献しました。
南北朝鮮関係にも関与し、1992(平成4)年には外交通商部長官特別補佐官として、「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」の採択を受けた南北共同核管理委員会で副委員長を務め。2005年9月外交通商部長官として、六者協議で北朝鮮の核開発問題解決に関する共同声明の採択、朝鮮半島の平和と安定の促進に向けた合意での指導力を発揮したといわれています。(が、2006年10月北朝鮮は地下核実験を行い、2009年5月再び地下核実験を行っています)。
あいさつ文(日本語訳文)が式次第の中に挟んでありましたので、先に読みましたので、文章から、潘基文国連事務総長は、いい人だろうな〜と思ったのです。
御自分の戦争体験を交えた挨拶文の内容にも(わたしはもっともなことだと思い)異論などはありません。
しかし、国連事務総長としては言葉での合意ではなく、約束したことが実現したという結果が求められているのが国際連合のトップの役割なのではとも(わたしは)思うのです。
今回のような、暑い中での式典では、要点良く、短文でメッセージを述べるのが世界のリーダーなのではないのかと、帰宅後女房に云ったら叱られましたが、それでも、述べたいことをだらだらではないにしても長なが云う場所ではないとわたしは思ったのです。
また、先月でしたか、退任した国連のアーレニウス事務次長(スウェーデン出身)の「事務総長、あなたは指導力不足」という新聞記事も目にしましたが、(それほどぼろくそに云われる人ではないと挨拶文を読みながらわたしは思ったのですが)、現代社会の世界のリーダーは、美辞麗句ではなく、実行力というか実現力が求められているのだろうな〜と思い(ただ単にわたしが勉強不足なだけですが)それほど世界情勢は切迫した事が多いからなのでしょうね。
※議長の経歴は、国連広報センターなどの資料を参考にしました。 10.08.11裕・記編集

10.08.06.裕撮影
挨拶中の潘基文国連事務総長
潘基文国連事務総長あいさつ    広島、2010年8月6日
私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。
私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。
広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。
私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。
炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。
多くの命が失われ、家族が引き裂かれ・・・、後には大きな悲しみが残されました。
それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。
私が今日、ここにいるのもそのためです。
    「私は世界平和のため、広島に参りました。」(「」は日本語で云われました)
私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです。
命は短くとも、記憶は長く残ります。
皆さんの多くにとって、あの日はまるで、空を焼き尽くした閃光のように鮮明に、また、その後に降り注いだ黒い雨のように暗く、記憶に残り続けていると思います。
私は皆さんに、希望のメッセージを送りたいと思います。
より平和な世界を手にすることは可能です。
皆さんの力は、それを実現する助けとなります。
被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました。
次の世代を担う皆さん、あなた方はよりよい明日の実現に努めています。
皆さんは力を合わせ、広島を平和の「震源地」としてきました。
私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。
それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。なぜなら、核兵器が存在する限り、私たちは核の影に怯えながら暮らすことになるからです。
そして、私が核軍縮と核不拡散を最優先課題に掲げ、5項目提案を出した理由もそこにあります。
私たちの力を合わせる時がやって来たのです。
私たちには至るところに新しい友や同志がいます。
最も強大な国々もリーダーシップを発揮し始めました。国連安全保障理事会でも、新たな取り組みが生まれています。また、市民社会にも新たな活力が見られます。
ロシアと米国は新しい戦略兵器削減条約に合意しました。
私たちはワシントンでの核セキュリティーサミットで重要な進展を遂げることができました。その成果を踏まえ、2012年には次回のサミットが韓国で開催される予定です。
私たちはこの勢いを保たなければなりません。
私は9月にニューヨークで軍縮会議を招集する予定です。
そのためには、核軍縮に向けた交渉を推し進めなければなりません。
それは、包括的核実験の禁止に向けた交渉です。
また、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)に向けた交渉でもあります。
また、被爆者の証言を世界の主要言語に翻訳するなど、学校での軍縮教育も必要です。
地位や名声に値するのは核兵器を持つ者ではなく、これを拒む者であるという基本的な真実を、私たちは教えなければならないのです。
皆さん、
65年前、この地には地獄の炎が降り注ぎました。
今日、ここ平和記念公園には、一つのともしびが灯っています。
それは平和の灯、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。
私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか。
そしてともに、広島の炎を消しましょう。
その炎を希望の光へと変えようではありませんか。
核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために。 
通称平和記念式典で配付されているパンフレットの中に挿めてあった『日本語訳文』を転記しました。「」は記述がありませんでしたが総長が云われました



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