長崎原爆資料館など

  長崎市平野町に建てられている「長崎原爆資料館」です。
*見学したのですが、内部撮影禁止になっていましたので、内部の画像はありません。
※見学に行く途中みた「トーテムポール」を撮影しました。
※また、「長崎市平和会館」市立博物館が併設されています・。
見学していませんが取り上げました。
長崎原爆資料館の資料によると
『長崎は、古くから海外文化の窓口として発展し、諸外国との交流を通じて豊かな文化を育くんできました。
1945(昭和20)年8月9日(木)午前11時2分、広島についで2発目の原子爆弾が米軍のB29爆撃機によって長崎市北部へ投下され、数千度の熱線、すさまじい爆風や放射線が地上に襲いかかり、市街地は廃墟と化し、7万4千人もの尊い生命を奪い、7万5千人にも及ぶ人々を傷つけました。
また、辛うじて生き残った人々も、心と身体に大きな痛手を受け、現在でも多くの被爆者が苦しんでいます。しかし、世界では未だ核兵器の開発がやまず、人類は依然として核兵器の恐怖にさらされています。
長崎原爆資料館では、今後も被爆の実相や、現代の核兵器に関する情報などについてわかりやすい展示に努め、核兵器廃絶と世界恒久平和実現に向けて貢献できればと考えています。』
と述べているその予備知識だけで訪ねました。
入館料がただになったと聞いていたのですが、聞き違いだったようで、長崎市民だけが無料とかで観覧料@200円を払い館内見学をしました。
館内は撮影禁止でした。
05.10.21裕・記編集

05.10.14撮影
長崎市平野町7-8
トーテムポール説明(要約)

米国ミネソタ州・セントポール市と昭和30(1955)年12月全国の都市に先駆けて姉妹都市提携を結び、教育、文化などの交流を通して相互の友情と理解を深め世界の平和に努めています。
提携25周年を記念してセントポールのボーイスカウトの隊員達により作成された。
トーテムポールとはもともとアメリカインデアンの間で種族のお守りとしてあがめる動物や自然物の像などを木に刻んで着色し、種族の人々のこころのささえとして建てた柱をいいます。

長崎市平和会館

コンベンション施設
体育館兼集会所
(シアター650人 収容数)

会館内に長崎市立博物館がある
鎖国時代にオランダや中国の交易でもたらされた美術工芸品や交易の資料をはじめ、長崎版画やキリシタン関係の文書など貴重な資料が展示してあるそうですがみませんでした。
convention(コンベンショ)
1] 因襲、慣習、しきたり。
2] 集会。日本では特に国際的な集会をさす

05.10.14撮影
長崎原爆資料館
  昭和24(1949)年 5月爆心地公園に原爆資料館開設がはじまりだそうです。
昭和30(1955)年4月、長崎国際文化都市建設法の事業として「長崎国際文化会館」が開館し、展示室において原爆被災資料等の展示をはじめました。
その後、建物の老朽化と展示機能の充実を図るために、平成5(1993)年から施設の建替工事を始めて、平成8(1996)年4月に名称を「長崎原爆資料館」と改め、開館しました。
原爆資料館には、(1)被災物品419 (2)絵画・模型・標本30 (3)写真資料378・映像資料80・以上907点が展示してあるそうです。
資料は長崎市の資料を参考にしました

05.10.14撮影
長崎市平野町7-8

05.10.14撮影



長崎原爆資料館、その周辺・概説



「長崎ぶらり散歩」編


(「資料館など」編)



(広島ぶらり散歩へ)





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