原爆殉難教え子と教師の像

  「昭和20(1945)年8月9日原子爆弾の却火とすさまじい爆風は、一瞬にして長崎の北部一帯を廃墟と化し、14万有余の市民を殺傷した。さながら地獄のごとき様相は、核兵器の恐るべき脅威を示すものだった。この日に家にいた国民学校児童5800余、報国隊として工場に出勤していた1900余の生徒たちは、100余の教師と共に即死または放射線によりつぎつぎと尊い命を奪われた。 年を経るに従い、この悲惨な事実が忘れ去られることは忍び難く、(長崎)県内外の教職員及び有志の協力により、亡きみ霊の安らかならんことを祈念し、再びかかる惨禍を繰り返さぬことを誓い、ここにこの像を建立するものである。」
昭和57(1982)年8月3日  原爆殉難教え子と教師の像建立委員会
遠くから長崎市平和会館がみえそれに向かって歩きました、広場に近づいて最初に目に入ったのがこの碑でした、長崎原爆で亡くなった教師と児童・生徒を追悼するものだといい犠牲になった方々は5529人とも聞きます・・・
多くの罪なき子どもたちが犠牲になったと・・・広島にも教師と子どもの碑が建立されています。
関連頁:(広島に建立されている)原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 05.10.22裕・記編集

05.10.14撮影
長崎市平野町7-8  長崎市平和会館前広場

05.10.14撮影
この像は、金色に輝く巨人と、四人の子供達を表し、四人の子供達の上に立つ巨人は、原爆の脅威を振り払おうと右手を大きく振り、その下の四人の子供達は、平和を叫んでいるそうです。
とみながなおき
富永直樹 
(1913-2006)
長崎市生まれ。本名、富永良雄。東京美術学校彫刻科塑造部卒業。
北村西望に師事。1984(昭和59)年勲三等瑞宝章受賞、文化功労者顕彰。昭和61(1986)年日本彫刻会理事長。平成元(1989)年文化勲章受章。長年、三洋電機のデザイン部門に勤務。2006(平成18)年4月11日死去。
06.04.13追記



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