原爆落下中心地公園

  長崎市松山町に整備されている「原爆落下中心地公園」です。
※米軍投下の原子爆弾は、松山町171番地の上空約500500mで炸裂したそうです。
(昭和20年)当時この原爆落下中心地公園一帯は地元有力者の別荘と庭がありました。
原爆落下中心から1km以内の死亡率は実に88%、その年(昭和20年)暮れまでには、統計によれば73,884人が死亡、74,909人が負傷しました。
最初は昭和20(1945)年10月に爆心を決定した文部省の調査団によってスレート製煙突の破片に消し炭で「爆心 centre」と書いた標識が建てられ、その後何度か木柱で建替えられました。
戦後一帯が公園として整備された際、正式に爆心地標柱として建て直されました。
爆発点は、閃光によって壁などに焼きつけられた三方の影の仰角を計って割り出されました。標柱(原爆落下中心地碑)は戦後何回か建て直され、現在の三角柱は1955(平成7)年の建立だそうです。
広義では平和公園の一部なのでしょうが案内本を見ていると原爆公園(原爆落下中心地公園)と表記されていましたので平和公園とは別に独立したこの頁に編集しました。
広島の爆心地は島病院で、現在も島病院ですので西側道路に爆心地・原爆被災説明板が設置されています。
資料は長崎さるく博’06の資料ほかを参考にしました。 05.10.29裕・記編集

05.10.14撮影
長崎市松山町

05.10.14撮影
浦上天主堂遺壁と原爆落下中心地碑を後ろ(北側)からみました

05.10.14撮影

05.10.14撮影

05.10.14撮影
原爆落下中心地碑 浦上天主堂遺壁 被爆50周年記念事業碑



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