(昭和20年)当時この原爆落下中心地公園一帯は地元有力者の別荘と庭がありました。中心から1km以内の死亡率は実に88%、その年(昭和20年)暮れまでには、統計によれば73,884人が死亡、74,909人が負傷しました。
最初は昭和20(1945)年10月に爆心を決定した文部省の調査団によってスレート製煙突の破片に消し炭で「爆心 centre」と書いた標識が建てられ、その後何度か木柱で建替えられました。
戦後一帯が公園として整備された際、正式に爆心地標柱として建て直されました。爆発点は、閃光によって壁などに焼きつけられた三方の影の仰角を計って割り出されました。標柱(原爆落下中心地碑)は戦後何回か建て直され、現在の三角柱は1955(平成7)年の建立だそうです。 |