平和祈念像

  長崎市松山町の平和公園に建立されている「平和祈念像」です。
像の作者は、北村西望(1884-1987)です。
爆心地の北側の丘に青銅製(鉄骨を芯にしている)の平和祈念像が座っています。
平和祈念像は全国の高校、中学、小学校の教員お及び児童生徒の1円拠出運動をはじめとして国内はもとより、遠く南米、北米、ハワイ、タイ、ビルマ等の海外からも三千万円が寄付を仰いで、「平和は長崎から」のスローガンのもとに、原爆被災地長崎市民の恒久平和の願いを込めて、被爆10周年にあたる5年の歳月をかけ、1955(昭和30)年の8月8日完成しました。作者は長崎県出身の彫刻家、故北村西望氏です。
像は高さ9.7m。台座は3.9m、腕の長さ4m。手のひらが1.2m。指の長さは0.6m、重量30屯だそうです。
この像は神の愛と仏の慈悲とを象徴し、右手は、天を指して原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は地上に恒久平和あらしめよと人類に諭し瞼を軽く閉じて犠牲者のめい福を祈っているそうです。
※2000(平成12)年全面修復され、新しく塗り替えられたそうです。
毎年8月9日の原爆の日には、この像の前で平和祈念式典が催され、全世界対して平和宣言がなされ、新しく判明した原爆死亡名や、この1年間に死亡した人々の名が過去帳に記され奉安されるそうです{1997(平成9)年8月1日からは奉安所が原子爆弾落下中心地碑前に移設されマイクロフィルム化された原爆死没者名簿が納められるようになったそうです}。
子どもの頃一度だけ訪れてはいますが、TVでみていた平和祈念像の実物をみることは考え深いものでした。
台座前面に建立のことばが刻まれ、台座後側には作者北村西望氏の言葉が刻まれていました。
05.10.30裕・記編集
   参考頁:(広島の平和記念公園建立の圓鍔勝三作)平和祈念像

05.10.14撮影
長崎市松山町 (平和公園)

05.10.14撮影

05.10.14撮影

05.10.14撮影
平和祈念像の台座に建立のことばが刻まれています。
字が消えかかりわからない部分がありました、最後の方の平和の構築はこうだろうかとわたしが解釈したものです、ご存知の方お教え願えれば.









 



























































































































































































使









































































































































































一時















05.10.14撮影
 平和祈念像作者の言葉
あの悪夢のような戦爭
  身の毛もよだつ凄惨悲惨
   肉親を人の子を 
かえりみるさえ堪えがたき眞情
  誰か平和を祈らずにいられよう
  茲に全世界平和運動の先駆として
この平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺餘
   右手は原爆を示し左は平和を
  顔は戦爭犠牲者の冥福を祈る 
  是人種を超越した人間 
    時に佛 時に神
  長崎始まって最大の英断と情熱
今や人類最高の希望の象徴

   昭和三十(1955)年 春日 北村西望



平和公園・概説


「長崎ぶらり散歩」編



(広島ぶらり散歩へ)
(広島でみる北村西望作品)
聖観世音菩薩像
飛躍
喜ぶ少女
躍動
平和の女神
将軍の孫
平和祈念像(長崎市)





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