浦上天主堂 (長崎教区カトリック浦上教会)

  長崎市本尾町に建てられている「浦上天主堂」です。
1879(明治12)年に小聖堂を築いたのが浦上教会の発端であり、その後、大浦天主堂から専任の神父が来て、1880(明治13)年に庄屋江戸時代キリスト教弾圧の象徴的存在だった浦上村の庄屋屋敷跡地を買い取り現在の地に移転した。1895年大聖堂の建設を始める、これは東洋一の聖堂を目指して建設されたもので、20年の年月を要し1914年(大正3年)献堂式が行われ、1925(大正14年)双塔が完成し浦上天主堂は完成した。(歴史と由来
1945(昭和20)年8月9日長崎への原爆投下により、爆裂地点から東北≒500mに在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊された。浦上地区のカトリック信徒約12,000人のうち約8,500人が爆死したそうです。
1959(昭和34)年10月鉄骨コンクリート造で一応の再建がなされた、1981(昭和56)年ローマ法王の訪問を機に外壁をレンガタイルで改装、昔日の面影がよみがえりました、また堂前には原爆で焼かれた天使像などが並んでいます。
今(2005)年になってはじめて読んだ永井隆博士著「長崎の鐘」の書名になった鐘が奇跡的に無傷で見つかったこの浦上天主堂是非訪ねてみたい教会でした・・・被爆でうちひしがれた長崎の人たちに神が復興への願いを込めた一つだったのかもしれないと、クリスチャンではないわたしですがそうかもしれないと思いました。
資料は長崎さるく博’06の資料ほかを参考にしました。 05.12.06裕・記編集

05.10.14撮影
長崎市本尾町1-79

05.10.14撮影

05.10.14撮影
浦上天主堂 被爆した聖像、ヨハネ像、マリア像など

05.10.14撮影

05.10.14撮影

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05.10.14撮影

05.10.14撮影

05.10.14撮影
ローマ法王・ヨハネ・パウロ二世像
1981年2月26日来訪
浦上天主堂石垣 長崎市設置の銘板



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