大浦天主堂・詳細

  長崎市南山手町の大浦天主堂でここにみた像や記念碑などをここでは取り上げました。
※マリア像、ヨハネパウロ二世像,、旧羅典新学校、踏絵などです。
大浦天主堂を見学してグラバー園に繋がる細い道があり、その途中に重文指定の元神学校の建物がキリシタン資料館になっていました。見学者も大浦天主堂に比べたら極端に少なかったのでキリシタンに関する事などゆっくり拝見することができました、レプリカですが昔々社会科で習った踏絵も見ることができ、創建時代の大浦天主堂のパースも見ることができました。そのようなものを拡大編集したのがこの頁です。
05.12.08裕・記編集

05.10.14撮影
大浦天主堂を見上げました

05.10.14撮影
中央入口に設置のマリア像、日本の隠れキリシタン発見を記念してフランスから贈られたものだそうです。

05.10.14撮影
ローマ法皇胸像とプチジャン神父の銅像

05.10.14撮影
ローマ法皇胸像
関連頁:(浦上天主堂)ヨハネパウロ二世像(大浦天主堂)ヨハネパウロ二世像(世界平和記念聖堂)ヨハネパウロ二世像

05.10.14撮影
国指定重要文化財 旧羅典(らてん)新学校
指定年月日 昭和47年5月15日 所有者 カトリック長崎大司教区
  1873(明治6)年キリシタン禁教が停止になり各地に配流されていた浦上村の信徒が釈放されたのを契機として、大浦天主堂のブチジャン神父は新学校の設立を計画し、1875(明治8)年に完成。設計と監督に当たったのはドロ神父。わがj国初期の木骨煉瓦造り。1926(大正15)年までラテン神学校校舎兼宿舎として使用。以後司祭館や集会所にも使用され、その間若干の一部改造があった。
長崎県・長崎市教育委員会(1962年3月設置)

05.10.14撮影
  踏絵(東京国立博物館蔵品からの摸製)板踏絵と真鍮踏絵
板踏絵は信者から没収した大形メダイを板にはめこんで踏絵としたもの現在10枚ある。真鍮踏絵は長崎奉行の命により祐佐が作ったもの。現在19枚ある。

05.10.14撮影
創立当時の大浦天主堂
  設計フューレ師、ブチジャン師、施工小山秀。ゴシック、バロック、クラシック様式と日本の海鼠(なまこ)壁を混合した美しい建築美が長崎市民の目を驚かせ参観人をひきつけていた



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