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長崎市南山手町のグラバー園に展示されている「旧グラバー住宅」です。 |
指定:国指定重要文化財(昭和47年5月15日) |
所在地・所有者:長崎市南山手町3番地・長崎市 建築年代:建築年代:1863(文久3)年前後 |
構造形式:木造平屋建、ペンキ塗、寄棟造桟瓦葺、ベランダ付 |
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長い鎖国が終わりを告げ長崎・神奈川・函館3港は世界に門を開きました。同時に諸外国商人は大浦居留地附近に居を構え貿易を営みます。
これら貿易商人の一人英国スコットランド出身トーマス・ブレーク・グラバー(1838-1911)の住居は数多い洋風建築の中で独特のバンガロー風様式を残している日本最初の木造洋館として貴重な文化財です。グラバーは若冠21歳1859(安政6)年上海経由で渡来し、ベテランの外商たちの中にあって武器船舶などを取り扱う嵐の商人としての仲間入りをしましたが、やがて彼は自己の信念に基づく立憲君主制国家としての日本再建に外商としての立場を超越した活躍を見せ始めました。それには日本の若いエリートたちに国際的な目を開かせることが先決だとして伊藤博文をはじめ数多くの若者の海外勉学の旅を斡旋しています。こうして維新動乱前後には多くの新時代の日本の指導者が続出したのは彼の努力に負うところが少なくありません。彼が期するところの立憲君主制の平和国家として日本が再出発することになるや、次に彼は産業立国の大方針を以て政府に協力し造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野を開拓しました。1865(慶応元)年大浦海岸にわが国初の蒸気機関車を試走させ1868(明治元)年高島炭鉱を開発、また同年海国日本の前途を計って小菅に修船場を設けたりと日本の新世紀にエネルギー溢れる協力をしました。この家には息子の倉場富三郎、娘ハナ、妻おツルと共に住んでいました。グラバーは英国人として日本維新に大いに貢献した忘れることのできない人物です。 |
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グラバー園で目に留まった旧グラバー住宅を撮影しました。 |
05.12.19裕・編集 |
関連頁:旧クラバー住宅No1 旧グラバー住宅No2 |