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| 解放運動 無名戰士之碑について |
この碑は、解放運動のなかばで倒れた先輩諸兄姉を、とこしえに記念し、たたえるためのものです。この人びとの輝ける遺業をうけつぎ不屈の闘いを顕彰することは、日本の平和と独立、民主主義と人権を守る闘いを励まし、ながく解放の礎えとなるであろうという日本国民救援会広島県本部※の呼びかけにこたえ、広島県民各階層の絶大な賛同のもとに設置されたものであります。
建設資金は、日本社会党広島県連合会、日本共産党広島県委員会、広島県労働組合会議、民主団体、県内外の労働者、農民、労働組合、県民有志の協力と募金によってなされ、3月18日パリ・コミューンの記念日に着工し、第34回統一メーデーの日に完成したものであります。 |
| 1963(昭和38)年5月1日解放運動無名戰士之碑建設実行委員会 |
| わたしは解放運動という言葉から、思慮なく部落解放運動と思ったのですが、兄に『戦前の国家主義的天皇制の下、民主的な社会・国家を建設しようとした、広島の労働運動・社会運動家(マルクス主義者、社会主義者など)すべてを対象として、建てられたものです。』という事を教わり、わずかばかり、戦前の労働運動の歴史を紐解いてみました。 |
| 07.08.31追記 07.08.29裕・編集 |
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’07.03.12.撮影 |
| 広島市中区観音町側・東側角の平和大通り緑地帯 |
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’07.03.12.撮影 |
| 「凍てつく大地に あなたは種子となった」 |
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’07.03.12.撮影 |
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| 碑文板 |
碑名:古末憲一書、碑文:高津正道書、設計:前田文二 |
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| 日本国民救援会 |
創立 |
1928(昭和3)年4月7日 |
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戦前 |
千葉・野田醤油争議の弾圧犠牲者の救済をきっかけに設立、治安維持法で弾圧された人々の救援活動に奔走 |
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戦後 |
人権と民主主義を守るために運動をすすめています |
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資料は日本国民救援会の資料を参考にしました |
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| 日本の労働運動 |
日本は明治維新以来、「富国強兵」「殖産興業」の名のもとに急速な工業化が進行したが、戦前は労働者の生活については省みられる事がほとんどなかったといってもいいものでした。 |
| 1897 |
明治30年 |
片山潜(労働運動家1859-1933)・高野房太郎(1868-1904)らが「労働組合期成会」を立ち上げ日本で最初の労働組合が結成される |
| 1900 |
明治33年 |
治安警察法制定、ストライキを違法行為と定め、労働運動の弾圧が始まる |
| 1901 |
明治34年 |
日本で最初の社会主義政党である社会民主党を幸徳秋水(1871-1911)らが(5月18日)結成
5月20日治安警察法第八条二項で結社禁止する旨内務大臣の命令により解散 |
| 1902 |
明治35年 |
労働組合期成会解散に追い込まれる |
| 1904 |
明治37年 |
「共産党宣言」(幸徳秋水、堺利彦共訳)初めて邦訳 |
| 1912 |
大正元年 |
「友愛会」鈴木文治(労働運動家1885-1946)らによって(8月1日)結成 |
| 1919 |
大正8年 |
(団結権、ストライキ権を主張する労働組合)「大日本労働総同盟友愛会」と改称、
大正10年「大日本労働総同盟」、1940年7月自発的解散に追い込まれる |
| 1922 |
大正11年 |
日本共産党が創立(1945年までは非合法組織) |
| 1925 |
大正14年 |
治安維持法が制定 |
| 1926 |
大正15年 |
社会民衆党(12月)結成を巡り総同盟は(再び)分裂 |
| 1932 |
昭和7年 |
(無産政党=無産階級の利益を代表する合法的な政党の)社会大衆党結成
1940年7月自発的解散(大政翼賛会に合流) |
| 1938 |
昭和13年 |
大日本産業報国会(戦争協力のため全国の主要工場・事業場にもうけられた労働者組織)結成 |
| 1940 |
昭和15年 |
大政翼賛会(国民動員体制の中核組織)(10月12日)結成 |
| 1941 |
昭和16年 |
太平洋戦争12月8日(大本営発表日)開戦 |
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ぶらくかいほううんどう
部落解放運動 |
被差別部落出身者に対する社会的差別の解消を目指す社会運動。
1922(大正11)年水平社の結成(各地区演説の中で谷鐵之助が広島県代表として演説)により全国的な運動に発展。 |
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すいへいしゃ
水平社 |
「全国水平社」の略称。部落差別の撤廃とすべての人間の解放を求めて、被差別部落民が自主的に結成した運動組織。
1922(大正11)年京都で創立大会を開き、全国各地に広がり、
1923(大正12)年広島県水平社結成。
1927(昭和2)年12月3〜4日全国水平社第6回大会が広島で開催。
1942(昭和17)年1月20日戦時体制のもとで解散を余儀なくされました。 |
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