げんかじ  
玄化寺 形石燈籠
  中区の平和大通り緑地帯に建立されている石燈籠群の中の「玄化寺堂形石燈籠」です。
新羅時代の代表的な形であり、韓国の玄化寺本堂の前に建てられた石燈籠を模作したものです。
2008年3月初め交流ウォーク探検隊でみたときは平和大通り緑地帯の整備工事で解体され、基礎、笠が転がっていました、火袋はとみたのですがそれらしいものはなかったのです。3月第三土曜日の交流ウォーク時遠くからいままで(わたしは)見たことがない形の石灯ろうが組み建って直され復元されていました。火袋という部分が石材で一体的に造られているのではなく4本の柱で火袋部分が構成される石灯ろうでした。
  韓国の玄化寺のことを調べなくてはと思ったのですが、NETで韓国の情報があるようでないのでよくわからなかったとお断りしておいての次の記述です。高麗国霊鷲山大慈恩玄化寺碑というものが、現在の北朝鮮・開城の高麗博物館館外に展示してあるようで、玄化寺は 1018年に、 玄化寺塔は1020年に建てられましたが、(現在)玄化寺はなく 幢竿支柱、石橋などが残っているようですがその中にこの形の石燈籠が残っているのかはわかりませんでした。
また、設置の説明板にわざわざ韓国と記述していることから大韓民国国内に玄化寺というものがあっても何の不思議もないのですがこれに関しても(いまのわたしには)わかりません。
08.06.18裕・記編集

08.03.01.撮影
広島市中区  平和大通り緑地帯

08.03.15.撮影

08.03.01.撮影
復元されていました 解体中で説明板で玄化寺形石燈籠ということはわかりました

08.03.01.撮影
基礎、笠はすぐわかりましたが、火袋は、竿はと仮囲いの外から探してみたのですが・・・
シルラ
新羅(しらぎ)
慶州を都とした朝鮮最初の統一王朝(356-935)。
四世紀中頃、斯盧(しら)国が半島東南部の辰韓一二国を統合して建国。
七世紀には唐と結んで百済・高句麗を滅ぼし半島の統一支配を確立、唐に倣い中央集権化をはかったが、高麗の太祖王建によって滅ぼされた。
コグリョ
高句麗(こうくり)
古代朝鮮の一国。中国東北部にいた扶余(ふよ)族の一支族が建国(?-668)。
313年、楽浪郡を滅ぼし朝鮮北部を領有、427年平壌に遷都。広開土王(好太王)以下三代(四世紀末から六世紀)が最盛期。唐・新羅の連合軍に滅ぼされた。
ペクチェ
百済(くだら)
朝鮮古代の三国の一。四世紀半ば、馬韓(ばかん)北部に成立。のち高句麗に圧迫され半島西南部へ移動。王族は高句麗系の夫余族といわれる。
日本との関係が深く、仏教など大陸文化を伝え、日本古代文化の形成に大きな影響を与えた。660年に唐・新羅の連合軍に滅ぼされた。
※「くだら」は日本における称で、大村を意味する古代朝鮮語によるという



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