たちばなでら
橘寺 |
奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺。正式名は仏頭山上宮院菩提寺。聖徳太子生誕の地で、また太子が勝鬘経を講じたところと伝えられる。現在の堂宇は1864(元治元)年再興のもの。 |
(しょうまんぎょう)
勝鬘経: |
『勝鬘師子吼一乗大方便方広経(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう)の略その一巻。
(中国)南朝の宋の求那跋陀羅(ぐなばだら)訳。勝鬘夫人を主人公とし、一乗への帰一と衆生(しゆじよう)の本性の清浄を説く。 |
(しょうまんぶにん)
勝鬘夫人: |
仏教徒。古代印度の舎衛国(しゃえこく:釈尊在世の頃中印度にあったコーサラ国の首都)の波斯匿王(はしのくおう:Prasenajit
プラセーナジット)の娘。阿踰闍国(あしゅじゃこく)王の妃。父の勧めで仏法に帰依し、仏が示現して説法したと伝わる。 |
なんぼくちょう
じだい
南北朝時代 |
1)後醍醐天皇が京都より吉野へ入った1336(建武3:延元元)年から、後亀山天皇が京都へ帰る1392(明徳3:元中9)年までの、京都に持明院統の北朝と、吉野に大覚寺統の南朝との二つの朝廷が対立した時代。荘園制の衰退、守護領国制の展開、農民の成長と郷村制の伸展など、大きな社会的変動が続いた時代。吉野時代。
2)五〜六世紀、中国で漢民族の南朝と鮮卑族(せんぴぞく:古代北亜細亜の遊牧民族の一つ)を中心とした北朝とが対立した時代。 |
こうざま
格狭間 |
壇・台などの側面や唐戸などに施される、上部は火灯形、下部は椀形の曲線から成る装飾的な刳(く)り形。古くは牙象(げじよう)・眼象(げんしよう)((げじよう))といった。 |
わらびて
蕨手 |
2)先端が巻き込んだ早蕨(さわらび)形の意匠。刀の柄、高欄の手すりの先端などに見られる。
1)こぶしの形をしたワラビの新芽。 |