橘寺形石燈籠
  中区の平和大通り緑地帯に建立されている石燈籠群の中の「橘寺形石燈籠」です。
奈良県明日香村(あすかむら)、橘寺(たちばなで)の六角形石灯籠(南北朝時代初期)を摸作したもので、中台側面の走り獅子、基礎側面の蒼籠や火袋四面の四天王立像など装飾主義に徹したところに特色があります。
明日香村の資料によると、
『本坊の庭園内に置かれ総高220cm花崗岩製の六角型石燈籠。
方形の格狭間付き基壇を設け、燈籠の基礎は、側面三面には龍、他の三面には宝珠と花菱文を刻む。上部は複弁反花とし、竿受座に小蓮弁をめぐらす。竿に上中下三節をつくり出すが(後世のように)外へあまり張り出していない。
中台下部は単弁の仰蓮、側面を二区に分け、各区に走獅子を浮き彫りにしている。中台上部は蓮弁をあらわし、火袋受座とする。火袋四面に四天王像を彫り、前後二面は火口とする。各面の上区は横連子二区、下区は花菱文二区である。笠の蕨手は低く巻く。南北朝時代初期の制作と考える。』とあります。
個人的なことなのですが、まだまだ不備ばかりだった初期のころ(6年くらい前だったか)の「広島ぶらり散歩」が明日香村小学校ホームページの勉強部屋にリンクされたのです。HPを更新するときには小学生にもわかりやすく、感情むき出しではなく極力客観的事実の記述になるようにと心がけていました、いまも6年生の修学旅行の資料として見てもらっているようですので、今後ともそのように心がけていかなくてはと再度思っているところです。そのようなことで、明日香村ゆかりの橘寺形石燈籠の頁作成には少々気合いを入れてと思っているのですが、石燈籠の基礎的な知識がないのが情けないことなのです。
08.06.22裕・記編集

08.03.01.撮影
広島市中区  平和大通り緑地帯

08.03.01.撮影

08.03.01.撮影
格狭間の走り獅子
たちばなでら
橘寺
奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺。正式名は仏頭山上宮院菩提寺。聖徳太子生誕の地で、また太子が勝鬘経を講じたところと伝えられる。現在の堂宇は1864(元治元)年再興のもの。
(しょうまんぎょう)
勝鬘経:
『勝鬘師子吼一乗大方便方広経(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう)の略その一巻。
(中国)南朝の宋の求那跋陀羅(ぐなばだら)訳。勝鬘夫人を主人公とし、一乗への帰一と衆生(しゆじよう)の本性の清浄を説く。
(しょうまんぶにん)
勝鬘夫人:
仏教徒。古代印度の舎衛国(しゃえこく:釈尊在世の頃中印度にあったコーサラ国の首都)の波斯匿王(はしのくおう:Prasenajit プラセーナジット)の娘。阿踰闍国(あしゅじゃこく)王の妃。父の勧めで仏法に帰依し、仏が示現して説法したと伝わる。
なんぼくちょう
      じだい

南北朝時代
1)後醍醐天皇が京都より吉野へ入った1336(建武3:延元元)年から、後亀山天皇が京都へ帰る1392(明徳3:元中9)年までの、京都に持明院統の北朝と、吉野に大覚寺統の南朝との二つの朝廷が対立した時代。荘園制の衰退、守護領国制の展開、農民の成長と郷村制の伸展など、大きな社会的変動が続いた時代。吉野時代。
2)五〜六世紀、中国で漢民族の南朝と鮮卑族(せんぴぞく:古代北亜細亜の遊牧民族の一つ)を中心とした北朝とが対立した時代。
こうざま
格狭間
壇・台などの側面や唐戸などに施される、上部は火灯形、下部は椀形の曲線から成る装飾的な刳(く)り形。古くは牙象(げじよう)・眼象(げんしよう)((げじよう))といった。
わらびて
蕨手
2)先端が巻き込んだ早蕨(さわらび)形の意匠。刀の柄、高欄の手すりの先端などに見られる。
1)こぶしの形をしたワラビの新芽。



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