みゆきどおり
御幸通り

  南区宇品御幸にある「御幸通り」です。
※過っての御幸通は宇品町の字名で、海岸寄りの1丁目から通り沿いに北へ17丁目まであったそうです。
御幸通りは、1885(明治18)年8月4日明治天皇(1852-1912)の行幸を記念し、当時埋め立て工事中だった宇品新開の新しい道(皆実新道路)に命名されたそうです。
1896(明治29)年に完成した「日清戦争の凱旋碑」から、かって軍港であった宇品港へ向かう通りです。
(みゆき)
御幸;行幸:
1)天皇の外出。《行幸》
2)上皇・法皇・女院の外出。《御幸》
交流ウォーク関連で宇品地区を遊歩するまでわたし自身は宇品地区はなじみが薄い地区で、御幸通りがあり明治時代天皇陛下が通ったことからこの名前がついたこともそれとなく知っている程度でした。
現在の地図を見ると御幸通りという名称はなく、約150mほど東に広電市内電車が走る通りを宇品通りといいこちらがメインとなっていることからかなとも思うのですが、主要道路であったことから軍事道路であった御幸通りであることがわかるようでした。
天皇が行幸された1885(明治18)年からは時代は下りますが、1918(大正7)年の地図をみると御幸通の南突き当りに御幸松という電停があり、西側のをみると(京橋川沿いが)、現在は随分埋立てられていることがわかりましたので、地図を付けました。
12.05.06更新    08.01.26裕・記編集

06.11.28撮影
広島市南区宇品御幸1附近 御幸通り   

07.08.17撮影
南区宇品御幸5附近から御幸通り南側をみる

07.08.17撮影
広島バスのバス停「御幸松」    南区宇品海岸2附近の御幸通りから南側をみる
1918(大正7)年の地図をみると御幸通りの南に御幸松という電停がありました



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