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福山市神辺町大字川北に建てられている「神辺本陣」です。 |
広島県重要文化財・史跡 神辺本陣 昭和44(1969)年4月28日指定 |
江戸時代の神辺は、備中高屋宿と備後今津宿の中間に位置する宿駅として栄え、ここ本陣は三日市の尾道屋菅波家が営んでいた西本陣跡です(と東本陣は七日市の本荘屋菅波家が営んでいました)。
尾道屋菅波家は代々酒造販売業も営み、寛文年間(1661-1669)筑前黒田家の本陣役を務めた事に始まります。
延享5(1748)年※に建てられた本屋(平屋建瓦葺)は、御成の間、上段の間、三の間、札の間、玄関、敷台に至るまで、参勤交代の諸侯が宿泊した当時の面影をそのままにとどめています。札の間には諸侯の投宿時門前にかかげた木札が数多く伝わっています。
店住居は天保2(1831)年建築、背後には馬屋も残り、安政2(1855)年の建築という正門と木造瓦葺の塀もあわせて、江戸時代の本陣施設がよく保存されています。 |
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大名宿泊の折には平常居宅も加え、その部屋数27、畳数200余枚を使用し、大名とその附添衆50〜70人の収容が可能でした。
尚、休泊大名の緊急避難所として、当本陣北側に位置する仏見山万念寺が指定されていたそうです。 |
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説明板には、延享3(1746)年とありますが、(わたしは)広島県教育委員会の資料「広島県の文化財」を優先しました。 |
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2009年乗り放題切符で訪ねた神辺町でした。主目的は頼山陽(1780-1832)が塾頭をしたこともある菅茶山(1748-
1827)が開いた「廉塾」に行ってみることでした、(地図をみると)JR神辺駅から廉塾へぶらり散歩する途中にこの「神辺本陣」がある事がわかりましたので、立ち寄ってみようと思ったのです。土曜日でしたので本陣内部の見学ができましたので、門内に入りました。ボランティアガイドの方は先客を説明されていましたので、わたしのペースで撮影しました。 |
☆平成18(2006)年3月1日深安郡神辺町は福山市と合併して福山市神辺町となっています。 |
10.05.30裕・記編集 |
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