あまわけとよひめ じんじゃ
天別豊姫神社

  福山市神辺町大字川北に鎮座している「天別豊姫神社」です。
祭神: 豊玉姫命速進雄命(はやすさのおのみこと)、事代主命
相殿神: 吉備津彦命、火之加具土神
由緒 創立年代不詳。上古当地方が穴の海と称せられていた頃、網付岩上に斎祀されていたと伝えられる。崇神天皇(記紀所伝第10代)御宇、神戸が定められた時、この地を神戸として本社の神地とされた。878(元慶2)年神階を従五位上に進められ、また「延喜式」の神名帳にその名を所載されている式内社である。
1335(建武2)年浅山備前守が備後守護職となり、黄葉山に城を築き、網付に祀られたのが当社を現在地の黄葉山山腹に遷し奉って鎮護の神となし、神田十五町を寄進、崇敬の心篤かった。その後水野勝成により城が福山に移されたといえど歴代藩主の崇敬尚篤かった。
1873(明治6)年郷社に列せられた。1914(大正3)年川北村字掛の吉備津神社を合祀。1940(昭和15)年県社に昇格。
なお、社名は後世になって神辺大明神と呼ばれるようになっていたが、1869(明治2)年古称に復した。
神戸(かんべ) 神社に付属して、租税課役を神社に納めた民。神封戸(じんふこ)。かむべ。神部。
神奈備(かむなび) 神霊が鎮座する山や森。かんなび。かみなび。
2009年乗り放題切符で訪ねた神辺町でした。主目的は頼山陽(1780-1832)が塾頭をしたこともある菅茶山(1748- 1827)が開いた「廉塾」に行ってみることでした。
時間的なものもありましたが、地図をみて、JR神辺駅から神辺本陣〜廉塾〜菅茶山の墓所〜天別豊姫神社〜JR神辺駅というルートで計画しました。ここ天別豊姫神社、帰りの汽車に決めていた時間に間に合わなければ立寄る事を止めようと思っていました。
菅茶山の墓所から行っていた時神社だなと思う境内で目に入ってきたのは社殿ではなく、いろいろな(下段掲載の)石碑でした。撮影だけして、本殿にお参りして時間があったらじっくり拝見しようと思い社殿に行くべく石段に向かいました神門を潜ると間もなく本殿かなと思ったのですがこれがはじまりで、少々歩き疲れていた(わたしには)堪える石段でした。本殿でお参りして撮影して、時間的にも急がなくてはと、ざっと見て碑文がないように思った慰霊碑、平和塔を再度みることもできずにJR神辺駅に向かいました。神社の由緒は、資料を参考にして編集しました。
※平成18(2006)年3月1日深安郡神辺町は福山市と合併して福山市神辺町となっています。  10.06.06裕・記編集

09.10.12撮影
広島県福山市神辺町大字川北142-2

09.10.12撮影

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本殿:三間社流造、1878(明治11)年再建

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慰霊碑 平和塔 高橋翁頌徳碑 湯出原太一先生頌徳碑

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重政誠之翁顕彰碑 重政庸徳翁顕彰碑 重政雄造君頌徳碑



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