重政庸徳翁顕彰碑

  福山市神辺町大字川北の天別豊姫神社境内に建立されている「重政庸徳翁顕彰碑」です。
明治28(1895)年11月15日(広島県深安郡)神辺町川南に生れる。福山誠之館中学校、熊本第五高等学校、 東京帝国大学を経て、大正12(1923)年農商務省に入り埼玉・岐阜・長崎各県の開墾課長として食糧確保につとめ、戦後は中国四国農地事務局長として国土再建と食糧危機打開のためとり改良事業を推し進めるなど昭和28(1953)年に退官するまで農政の第一線で活躍した。
昭和28(1953)年参議院選挙に全国区から立候補、高位当選、その後参議院農林水産委員長、自民党総務などを歴任昭和37(1962)年8月参議院副議長、昭和40(1965)年3月勲一等瑞宝章を授与された。昭和52(1977)年10月正三位に叙された。
翁ゆかりの地に顕彰の碑を建てその業績を讃え永く伝えようとするものである。 
   昭和53(1978)年11月吉日  顕彰碑建立実行委員会
(しげまさ ようとく)
重政 庸徳:
(1895-1977)
1923(大正12)年農林省入省。岡山農地事務局長などを歴任した後1953(昭和28)年第3回参議院議員通常選挙で初当選。1962(昭和37)年に参議院副議長に就任。
1967(昭和42)年副議長在任時に重政の秘書が参議院副議長室を舞台に、暴力団幹部に対し拳銃を不法売買したという「国会内短銃密売事件」で逮捕されたため、2月2日に参議院本会議で議員辞職勧告決議が上程される。決議は否決されたが、重政は本会議場で自民党籍の離脱し登院を控え謹慎することを表明し、謹慎は77日間になった。その後、参議院議員を三期務め1971(昭和46))年6月、引退。
重政誠顕彰碑の隣に建立された顕彰碑でした。誕生年からお兄さんだなと思ったのです。この碑が建立されたのが1978(昭和53)年ですので、福田 赳夫(1905-1995:総理在任1976-1978年12月7日)総理大臣の最後の年ですので、肩書きと碑が一致していました。
※平成18(2006)年3月1日深安郡神辺町は福山市と合併して福山市神辺町となっています。  10.06.11裕・記編集

09.10.12撮影
広島県福山市神辺町大字川北142-2  天別豊姫神社境内

09.10.12撮影



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  重政誠之翁顕彰碑
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