旧・神辺町のマンホール蓋

  神辺町の町章は、町名の「カンナベ」の文字を図案化したもので 、環状で和と団結を表し、 山形で飛躍と発展を象徴しているそうです。
1889 明治22年4月1日 市制町村制施行時、神辺町域には安那郡の上竹田村、川北村、川南村、下竹田村、中条村、道上村、御野村、八尋村、湯田村がありました。
1898 明治31年10月1日 深津郡と安那郡が統合して深安郡となりました。
1929 昭和4年3月1日 川北村と川南村が合併して神辺町が成立しました。
1954 昭和29年3月31日 神辺町と竹尋村(1941年上竹田村+下竹田村+八尋村)、中条村、道上村、御野村、湯田村が合併して新しい神辺町になりました。
2006 平成18年3月1日 深安郡神辺町は、福山市に編入し消滅。
2009年乗り放題切符で訪ねた神辺町でした。主目的は頼山陽が塾頭をしたこともある菅茶山が開いた「廉塾」に行ってみることでした。道すがらマンホール蓋もみましたので撮影しました、いつまで旧神辺町のマンホール蓋が見れるのかなと思いながらこの頁を編集しました。
※平成18(2006)年3月1日深安郡神辺町は福山市と合併して福山市神辺町となっています。  10.06.12裕・記編集

09.10.12撮影
広島県福山市神辺町

09.10.12撮影

09.10.12撮影



「マンホール蓋」編



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「旧神辺町」編・全体





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