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西区東観音町の観音院にある「被爆した墓石」などを取り上げました。 |
資料に被爆したものとして墓石が紹介してありました。 |
爆心地から≒1,370m 被爆当時町名は東観音町2丁目でした |
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本堂前で、手を合わせお参りした後墓苑の方を拝見しました。
大きな墓苑ではありませんでしたがすぐに被爆した墓石というものが目に留まりましたので撮影させていただきました。市内のお寺では墓地の整理が進んできているようで、この観音院も縁者が不明と思われる墓石には連絡をお願いするプレートが取り付けられていましたので、そのうちに墓苑の整理が行われるのではないのでしょうか。 |
09.09.26裕・記編集 |
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09.08.06.撮影 |
広島市西区東観音町10-2 (観音院) |
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09.08.06.撮影 |
09.08.06.撮影 |
09.08.06.撮影 |
寛政五(1793)年十一月と刻まれていました |
連絡を請うプレートが付けてありました |
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09.08.06.撮影 |
09.08.06.撮影 |
09.08.06.撮影 |
角が欠け大きくクラック(ひび割れ)が入った墓石 |
嘉永五(1852)年八月十一日歿と刻まれていました |
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