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三原市本町の隆景広場に建立されている「小早川隆景像」です。
※像の作者は、矢形勇です。 |
小早川隆景公は、天文2(1533)年毛利元就の三男に生まれ幼にして沼田・竹原両小早川家を継がれた。永禄・天正年間三原湾に海城を築き内海の統治と地方産業の興隆に尽くされ、その治績は筑前・福岡と山陽道・三原が中心であった。
天正10(1582)年以来、豊臣秀吉公の 惟幄に侍り隆景公が、慶長2(1597)年病没するやその訃報に接した太閤は「天は何ぞ我が隆景を奪うや」と大いに慨歎された。ここに隆景公を三原の開祖として仰ぎ、その遺徳を永く顕彰するためにこの銅像を建てる。 |
昭和41(1966)年3月 三原市 |
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今回この三原駅を利用した主目的は、「三原市原爆死没者慰霊碑碑」が、駅の北側広場に建立されている事を知りましたので、慰霊碑に頭を垂れて撮影することでした、駅の案内板をみると、単なる広場ではなく小早川隆景(1533-1597)の名を冠した広場でした。慰霊碑を撮影したのち広場をみると、小早川隆景の像がありました。 |
小早川隆景の像の作者が分からないかと近付きみると台座に昭和四十一年春 矢形勇作とありました。 |
10.06.24裕・記編集 |