こうど
JR河戸駅-廃駅-

  安佐北区亀山に設置されていた可部線の「JR河戸駅」です。
※1956年11月河戸仮乗降場が開業した時は、安佐郡可部町の駅でした。
※ 2003(平成15)年12月1日にこの河戸駅も廃駅となりました。
1936年(昭和11年)9月1日横川〜可部間が国有化され可部線となりました。
1936年(昭和11年)10月13日可部〜 安芸飯室間延伸開業(安芸亀山駅、安芸飯室駅開業)。

1956(昭和31)年11月19日河戸仮乗降場として開業し、12月20日河戸駅に昇格しました。
1987(昭和62)年4月1日国鉄分割民営化に伴い西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の河戸駅となりました。
2003(平成15)年12月1日可部〜三段峡間廃線となりこの河戸駅も廃駅となりました。
   1898(明治31)年10月1日沼田郡+高宮郡=安佐郡で、高宮郡亀山村は安佐郡亀山村になりました。
   1955(昭和30)年3月31日可部町+亀山村+三入村+大林村=(あたらしい)安佐郡可部町発足。
   1972(昭和47)年4月1日可部町が広島市に編入されました。
2000(平成12)年JR西日本が可部線(三段峡駅〜可部駅)の部分廃止の方針を示した時に、「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会」が結成されました。
(当時、500人前後の輸送密度
※1の可部線が100人以上の底上げが期待できるといわれていました)
JR西日本は「自治体が費用全額負担すれば存続させる」との方針を示しました。しかし、可部駅〜河戸駅間(のみの)電化論は、河戸駅〜三段峡駅間の切り捨てになるとの意見に押され全線存続論が主流となっていき、可部線存続のため利用促進策がいろいろ試みられたようですが、実績は、JR西日本の示すライン
※2には及ばず2003(平成15)年に三段峡〜可部駅間の可部線は廃線となりました。
工事費の地元全額負担が大前提となっており、それが障害として電化延伸は具体化はしていないようで、廃駅に取り付けられた看板同様朽ちて行くのでしょうか。
※2017(平成29)年3月4日に可部駅〜あき亀山駅間が電化で開業。
※(廃駅)河戸駅を挟む形で新たな“河戸帆待川駅”が設置されました。
※1 輸送密度(ゆそうみつど)とは、交通機関(ここでは鉄道)の1日1km当たりの平均輸送量のことです。
※2 JR西日本広島支社が示した、輸送密度1日800人が存廃基準になっていたようです。
2003年11月廃線になる前に、三段峡に行く途中、可部線の駅を撮影したのですが、この河戸駅は場所がわからず撮影していませんでした。
既に廃駅となっていますが、2010年4月交流ウォーク探検隊が終わってから可部地区をぶらり散歩するのは(わたしは)はじめてでしたが、地図を見ながら一人で訪ねてみました。
10.05.30裕・記編集

10.04.03撮影
広島市安佐北区亀山1-9

10.04.03撮影
旧駅待合い前のバリケードには『河戸駅まで電化早期実現』可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会の看板が

10.04.03撮影

10.04.03撮影

10.04.03撮影

10.04.03撮影



「JR駅舎」編



広島ぶらり散歩へ
「可部町」編





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