臨啓碑

  中区上幟町の縮景園に建立されている「臨啓碑」です。
この「臨啓碑」は、皇后陛下が1922(大正11)年3月(福岡の)筑紫香椎宮に参詣されたあと、26日宇品港に上陸され午前11時に大本営跡へ行かれ、そのあと縮景園におこしになり、園内をご覧になったことの記念碑のようです。
貞明皇后 (ていめいこうごう:1884-1951)
大正天皇(1879-1926)の皇后。公爵・九条道孝の四女、旧名・九条節子(くじょう さだこ)。
1900(明治33)年2月11日 皇太子嘉仁親王と婚約。同(1900)年5月10日神前で挙式。
1912(明治45)年7月30日明治天皇が崩御、嘉仁親王の即位に伴い皇后となる。
1926(大正15)年12月25日大正天皇が崩御、摂政の皇太子・裕仁親王の即位に伴い皇太后となる。
漢和辞典を引いても「臨啓」はありませんでしたが「臨幸」という言葉があり天子がその場においでになることとありましたので、皇后陛下ですので行啓の啓をとって「臨啓」という造語を作ったのではないのかと(わたしは)思いました。
広島県教育委員会発行『縮景園史』にこの「臨啓碑」の碑文が掲載されているだろうと思ったのですが「縮景園行幸記」とともに記述がありませんでした。縮景園史には戦時中第二総軍司令部の海外通信傍受所が置かれていたなどは記述があるのにどうしてかと思ったのです。わたしの漢文解読力ではままなりませんので、解読は専門家に任せるということで、「縮景園見どころ」に加えるべく頁の一応の編集としました。
09.03.22裕・記編集

08.05.05撮影
広島市中区上幟町2-11   園内西側通路根際梅林の中に建立

06.10.23撮影









































































































ぎょうけい
行啓
古くは「ぎょうげい」。「啓」は先払いの意〕
皇太后、皇后、皇太子皇太子妃皇太孫が外出すること。
ぎょうこう
行幸
〔「ぎょうごう」ともいい、行き先が二か所以上のときは「巡幸」という〕
(☆天子が行かれるところは幸福がある意)
天皇が出かけること。みゆき。
りんこう
臨幸
天子がその場においでになること。

08.05.05撮影



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