ABCCのマンホール蓋

  南区比治山公園の現在・放射線影響研究所の根際でみた「ABCCと鋳込まれたマンホール蓋」です。
2000年頃からHP「広島ぶらり散歩」の編集をはじめたわたしでしたが、ABCC(原爆傷害調査委員会)も知らないという全くの無知でした。そこで「無知からはじめた豆知識集」編も編集しだしました。その時、比治山に以前はABCCと呼ばれていた施設がある事も知りましたので、2001年に撮影し「豆知識集」に加えました。
それ以来何度も訪ねた比治山公園でしたが、2008年になって現在のRERFの横を通り陸軍墓地に行く途中、わざわざ「ABCC」と鋳込まれた特注のマンホール蓋に(わたしは、はじめて)気が付き撮影しました。
ABCC:
(原爆傷害調査委員会)
1946(昭和21)年、広島・長崎の被爆者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国学士院-学術会議(NAS-NRC)が行うべきであるとする トルーマン米国大統領令を受けて、1947(昭和22)年原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島・長崎両市に設立されました。
当初、運営資金は米国原子力委員会(AEC)が提供していたが、その後、米国公衆衛生総局、国立がん研究所、国立心臓・肺研究所からも資金提供があり、米国の一方的な占領政策であった、1948(昭和23)年日本国の厚生省、国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加したものの、1951(昭和26)年、市内比治山に移り本格的な施設は整ったが、広島市民からは「研究、調査するだけで治療行為をしない」と、その活動方針を批判する声がありました。
RERF:
(放射線影響研究所)
1975(昭和50)年4月に日米対等で管理・運営され発足した財団法人放射線影響研究所(RERF)として改組されましたが、その前身がABCCです。
原爆を投下した米国の為の施設だったABCCの事をHPを編集する事で知ったわたしでした。
2008年になりここで取り上げたABCCのマンホール蓋をみた時、この小さなマンホール蓋から敗戦国の国民である被爆者が置かれた立場というものを(被爆したお袋から戦後生またわたしですが)知らされたように思いました。
11.02.06裕・記編集

01.12.25撮影
広島市南区比治山公園5-2  (財)放射線影響研究所

08.03.03撮影

08.11.15撮影



「マンホール蓋」編 広島ぶらり散歩へ





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