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南区比治山町の多聞院墓苑に建立されている「頼聿庵の墓」です。 |
頼聿庵(らいいつあん:1801-1856) |
江戸時代後期の儒者。頼山陽の長男。安芸広島藩士。名は元協。字は承緒。通称は餘(余)一。別号に鶴年、春嶂。
父が脱藩したため祖父頼春水の跡をつぐ。1818(文政元)年藩の学問所に出仕、1831(天保2)年〜1883(天保4)年江戸詰、東行の途中山陽と会ったのが父子永の別れとなった。1841(天保12)年奥詰。1850(嘉永3)年隠居、家督を嗣子・誠軒に譲った。山陽の著作出版につとめる。書にすぐれた。遺作に「聿庵詩稿」など。 |
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多聞院は真言宗のお寺です。2004年7月交流ウォークで訪ね、御住職に案内・説明していただいた、頼家の墓所。
2004年10月から2007年4月にかけて中国新聞に掲載された見延典子さんの新聞小説「頼山陽」を楽しみに読んでいたわたしは、頼山陽の人間的魅力を感じることができ、また脱藩した父・山陽の息子でありながら春水から若くして家督を継がなくてはならぬ運命を酒におぼれることもあったと伝えられていますが、山陽亡きあとその著書の出版に力を注ぐなど父を誇りに生きたのでないだろうかと・・・ |
08.06.18裕・記編集 |