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南区比治山町の多聞院墓苑に建立されている「頼春水の墓」です。 |
頼春水(らいしゅんすい:1746-1816) |
広島藩儒。安芸国竹原出身。諱は惟完、字は千秋(また伯栗)、通称は弥太郎。頼山陽の父。妻は静子(ばいし)。
21歳〜36歳を大坂の町儒者として活躍、1781(天明元)年藩儒に登用され帰国、芸州藩学の程朱学(ていしゅがく)による再興につとめる。1783(天明3)年-1793(寛政5)年の帰広する以外はほとんど江戸詰。著「学統弁」「芸備孝義伝」など。 |
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多聞院は真言宗のお寺です。2004年7月交流ウォークで訪ね、御住職に案内・説明していただいた、頼家の墓所。
2004年10月から2007年4月にかけて中国新聞に掲載された見延典子さんの新聞小説「頼山陽」を楽しみに読んでいたわたしは、頼山陽の人間的魅力を感じることができ、また春水が厳格な父でありながら頼家として脱藩し死罪でもおかしくはない息子・山陽を助けたいという親心というものを感じました。 |
08.08.11裕・記編集 |