(多聞院の)頼静子之墓

  南区比治山町の多聞院墓苑に建立されている「頼静子の墓」です。
頼静子(らいしずこ:1760-1843)
江戸時代中・後期の歌人。大坂出身。名は静(静子)。号は梅〈風思〉ばいし。飯岡義斎(儒医名:篠田コ安)の長女。
1779(安永8)年春水に嫁ぐ、3男1女を生んだが長男:山陽、長女のほかは早死。春水の芸藩仕官で1782(天明2)年以後は広島に住んだ。1784(天明4)年から1843(天保14)年までの日記が伝存。文政年間に四たび山陽に招かれ上方で遊んだことは有名。小沢盧庵(ろあん、歌人1723-1801)に和歌をまなんだ。
著作に「遊洛記」など。
多聞院は真言宗のお寺です。2004年7月交流ウォークで訪ね、御住職に案内・説明していただいた、頼家の墓所。
2004年10月から2007年4月にかけて中国新聞に掲載された見延典子さんの新聞小説「頼山陽」を楽しみに読んでいたわたしは、頼山陽の人間的魅力を感じることができ、またこの母あればこその頼山陽であり才能をいかんなく発揮させてやることが出来たのではと・・・一般的には号である「ばいし」といわれているようですがPCでは?となりますので「静子(または静)」をこの頁では採用しました。「ばい」は梅、「し」は風+思という字です。
08.06.12裕・記編集

08.03.03.撮影
広島市南区比治山町7-10 多聞院墓苑

08.03.03.撮影

08.03.03.撮影
墓碑銘を読もうとしましたが、 「春水先生煤〈風思〉夫人墓」と刻んであるように思うのですが正確には読めませんでした
ばいし夫人は梅〈風思〉で梅なのですが、わたしにはどう見ても梅とは読めなくて媒の字かなと



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