(西応寺の)被爆した墓石

  中区中島町の西応寺に残されている「被爆した墓石」を取り上げました。
資料によると、被爆したものとして墓石の記載がありありました。この峠家のお墓も建立が大正15年ということから被爆した墓石です、墓石には大きなクラック(ひび割れ)が入っています。
爆心地から≒690m   被爆当時町名は中島新町でした
資料には大きく傷ついた墓石の画像も紹介してありました。峠家(峠三吉のお墓)の墓石の大きなクラック、その台座の欠けと、根際の傷ついた墓石の撮影だけにしましたが、爆心地から690mで傷ついた御影石(の一部)を見ただけでも原爆の威力の大きさを知ることができるように思い、人間ならと思うと・・・・墓地の中をうろうろして撮影することは今回できませんでしたので、次に機会があればとも思っていますが。
08.10.10裕・記編集

08.08.16撮影
広島市中区中島町9-5

08.08.16撮影

08.08.16撮影















明治24年
(1891年)



被爆した建物・構築物」編



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西応寺
西応寺:被爆者が描いた原爆の絵・碑
峠家(峠三吉)の墓
被爆した墓石





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