峯龍山 浄専寺

  中区寺町に建てられている「峯龍山 浄専寺」です。
浄専寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集によると
『 光福寺南隣にありますが、仏護寺(現在の本願寺派広島別院)の十二坊の中には属していません。
開基は覺超(蓮如上人に帰依し、京にも居住した)によって佐東郡金山(銀山)龍ヶ原より三町ほどの峯に一宇を建立し峯龍山上坊浄専寺と唱えましたが、武田氏と毛利氏の合戦の時、立去り所々に移住、二世宗祐が上安村に堂舎を営んでいましたので、1589(天正17)年毛利輝元(1553-1625)広島に移る時、仏護寺一統とともに広瀬に下され、1609(慶長14)年福島正則(1561-1624)の時現在の寺町に處替えになりました。』
とあります。
また後年になりますが、1876(明治9)年この浄専寺に(当時広島県庁があった国泰寺が焼失して県庁内にあった)県裁判所がこのお寺に移ったという歴史もあります。
資料に、浄専寺の常夜燈、墓石が被爆したものとして掲載がありました。
爆心地から≒1,040m    被爆当時町名も寺町でした
寺町雲石街道沿いのお寺ですので前を何度も通っていますが、2009年になって参考にしている資料に被爆した墓石の記述がありましたので境内、そして墓地の方も拝見させていただきました。
09.11.08裕・編集

09.10.03.撮影
広島市中区寺町4-29

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影



広島の神社寺院」編



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浄専寺
  (被爆した)墓石、常夜燈





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