(徳応寺の)被爆した墓石など

  中区寺町の徳応寺に残され供養されている「被爆した墓石など」です。
玄風山・徳応寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
資料に、徳応寺の墓石などが被爆したものとして掲載がありました。
爆心地から≒1,000m    被爆当時町名も寺町でした
わたしが参考にしている資料に被爆した墓石などの記述がありましたので墓地を拝見させていただきました。
墓苑に入って奥に行った処、東側塀沿いに並べられた(無縁になった方々の)多くの墓石をみました。わたしのデジカメでは1カットで写せないほどの数でした。
09.11.11裕・編集

09.10.03.撮影
広島市中区寺町4-25 (徳応寺・墓苑東側)

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影
被爆した墓石など

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影
明治二(1869)己已、文化、天明など刻まれた石仏

09.10.03.撮影
本堂左右の天水桶

09.10.03.撮影
昭和11(1936)年5月寄進された(被爆した)天水桶
てんすいおけ
天水桶
防火用に雨水を貯えておく桶。
被爆前はこの天水桶に屋根からの縦樋が入っていたものと思われますが、戦後復興した本堂の形態から(いまは実用的な)天水桶の役割は果たしていませんが大切に残されていました。



被爆した建物・構築物」編



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  (被爆した)墓石など





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