長尾山 光圓寺

  中区寺町に建てられている「長尾山 光圓寺」です。
光圓寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集
によると
「往古は、安藝郡牛田村風呂の谷に居在し宗旨は眞言宗でしたが、願了の代に京都本願寺・蓮如上人の弟子となり浄土真宗に改宗し、はじめは本願寺と号しましたが後に、東林坊と改めました。(旧記に佛護寺十二坊の一つに牛田村・本願寺と見えますが詳らかではありません。)
願了より前は詳らかでなく、同僧を初代とし、四世・淨順まで牛田に在ったが、毛利氏より明星院村太歳原に寺地を賜わり、一宇を建立し、太歳原尾長山の麓であったので山号を長尾山としました。太歳原は一説には、天満宮太宰府左遷の時このところに御腰をかけられたことから太宰原と名付けたと伝えられています。五世・願通の時其地を拝領し、なお軍功によって毛利氏の御判物を賜わった。その後、福島正則の時(藩主:1600-1619)、今の寺地を拝領し後に、東林坊をあらためて光圓寺と号しました。」
とあります。
明治に入り十七世・朗善が現本尊・阿弥陀如来立像を迎え本堂の改築を発願し、1889(明治22)年ごろ旧本堂を江田島鷲部説教所に移築、この本堂は旧江田島町文化財として現存しています。
1945年(昭和20)年8月6日原爆により、一切の堂宇を焼失しましたが、1969(昭和44)年現本堂が再建されました。
資料に、光円寺の墓石などが被爆したものとして掲載がありました。
爆心地から≒970m    被爆当時町名も寺町でした
寺町雲石街道沿いのお寺の中ですので、お寺の前を何度も通っただけでした。資料に被爆した墓石などと記載がありましたので、今(2009年)回はじめてお寺、墓地の方も拝見させていただきました。
09.12.04裕・編集

09.10.03.撮影
長尾山 光圓寺 広島市中区寺町5-43

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影

09.10.03.撮影
昭和11(1936)年と刻まれている被爆した天水桶 被爆し無縁になった墓石、石仏

09.11.26.撮影



広島の神社寺院」編



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長尾山光圓寺
  (被爆した)墓石など





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