|
中区寺町を南北に通る「寺町通り」をこの頁で取り上げました。 |
堺町からはじまる出雲石見街道を少し北上すると道沿いにお寺が続いています。寺町通りといわれています。
広島城を西国の敵から守るために造られたとも聞きますが、寺町に仏壇・仏具店が軒を連ねていても何ら不思議ではないのでしょうがわたしは勝手に寺町仏壇通りと云っています。 |
慶長年間、広島藩主・福島正則が、仏護寺(現:本願寺広島別院)と十二坊を現在の地)(中区寺町)に移転させ寺町としたそうです。
12坊とは、光福寺・圓龍寺・光圓寺・正善坊・超専寺・徳應寺・善正寺・真行寺・報専坊・元成寺・正伝寺・光禅寺・蓮光寺・品窮寺の14ヶ寺と聞きます。 |
この辺りにはあまり来た事がありませんでしたので、まちづくり交流ウォークで横川橋から本願寺広島別院に行く途中街並みをみていると仏壇店が並んでいましたので撮影しました。
横川橋から南すぐの所に「寺の街」の標識がありました、おじいさんとおばあさんだけのデザインには、なぜ子どもも描かないのかとチト異論をもったわたしですが、ほのぼのとはしていました。 |
08.03.21更新 04.10.10裕・記編集 |