(報専坊)深諦院慧雲師之碑

  中区寺町の報専坊に建立されている「深諦院慧雲師之碑」です。
慧雲(えうん:1730-1782※)
浄土真宗の学僧。広島城下塩屋町(現・中区大手町)専勝寺(二男)に生れる。2歳で報専坊の養子となる。字:子潤。号:洞水、東岳、甘露、白道。諱:深諦院。
17歳で上京、本願寺派学僧・僧撲門下。師没後報専坊に帰り私塾「甘露社」を開く。履善、大瀛、僧叡、雲幢など優れた弟子を輩出、後にこの学僧山脈は「芸轍(げいてつ)」という学派名で呼ばれた。また、安芸国の民衆の教化に努力し、各集落単位に「お寄り講」を設けさせた。宗義に純粋なあまり、門徒に神棚を祭らせなかったので「神棚降ろしの報専坊」と呼ばれ、死後修験者によって放火されたが、慧雲は「安芸門徒」の精神面を開花させた第一の立役者と云われています。
※Wikipediaでは1784年としていますが
2004年報専坊の頁を編集した時は、慧雲のことは知りませんでした。2007年被爆した墓石の頁を編集しようとした時、墓地の手前のこの碑に気が付きましたが、調べもしていませんでした。
「広島の神社仏閣」編で浄土真宗のお寺の頁を編集しているうちに、宗義騒動「三業惑乱」を知り、芸轍の祖が、ここ報専坊の住職であった慧雲ということを知り、2009年撮影したのです。2010年改めて訪ね撮影し、この頁を編集しました。
10.09.21裕・記編集

10.09.03.撮影
広島市中区寺町3-3

09.10.24.撮影

09.10.24.撮影

10.09.03.撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


芸轍について


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報専坊
(報専坊)被爆樹木イチョウ
(報専坊)被爆した墓石
(報専坊)深諦院慧雲師之碑





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