(空鞘稲生神社)出雲大社道・道標

  中区本川の空鞘稲生神社に移され建っている「出雲大社道・道標」です。
猫屋橋(現・本川橋)をわたり西国街道に沿う堺町1丁目から北へ分岐する脇往還が、出雲石見街道(通称:雲石路)と呼ばれ可部宿に至っていました。
分岐した処に「出雲大社道」と彫られた江戸末期の道標の石灯籠があり、現在では道路拡幅のために、「空鞘稲生神社」の境内に移されたと聞くのがこの道標です。
雲石街道は、(広島から萩に移封された毛利氏が)萩城下から歴代藩主が吉田郡山へと向かい、元就墓参のために利用した重要な街道(往還)だったそうです。
(おうかん)
往還:
人々が行き来する道のことで、
江戸時代の五街道以外の主要な街道をいい、脇街道・脇道とも呼ばれていました。
空鞘稲生神社にこの道標があることを資料で知っていたのですが、いままで(さほど広くはない境内ではあるのですが)探せませんでした。
交流ウォークの時に片隅に追いやられたようなこの道標を見つけ撮影しました。
07.03.12裕・編集
   関連頁(三篠町)往来安全の碑

07.02.21.撮影







07.02.21.撮影
広島市中区本川3-3-2 空鞘稲生神社

06.09.15.撮影


























倉田



06.09.15.撮影



















文久元年=1861年、(明治元年=1868年)



「道標など」編



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空鞘稲生神社
被爆した灯籠、狛犬
御大典紀念樹・石碑
(境内に移設の)出雲大社道・道標
(境内の)イチョウ





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