(空鞘稲生神社)御大典紀念樹・石碑

  中区本川3-3-2の空鞘稲生神社に建立されている
                   「御大典紀念樹」碑と「紀元二千六百年」石柱をこの頁で取り上げました。
皇太子(大正天皇)は、1912(明治45)年7月30日、明治天皇の死去にともない、皇位を継承して大正と改元し、1915(大正4)年11月10日に京都御所紫宸殿で即位の御大典をあげる。
1940(昭和15)年が「紀元2600年」にあたることから政府は、1935(昭和10)年「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、橿原神宮や皇族関係陵墓の整備など記念行事の計画・推進を進め、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められていたため、これらの行事はおしなべて神道色の強いものだったようです。
空鞘稲生神社さほど広くはない境内ではあるのですが、交流ウォークの時に訪れた時も含めなんとなく境内を見ていました。
「天皇関連碑など」編を編集しだして、その関連する石碑がないかも見るようになっていましたので、気が付き撮影しました。
記念樹は
爆心地から≒630mのこの神社では焼失して、石碑だけが残ったのです。
08.04.19裕・記編集

07.10.12.撮影

07.10.12.撮影
広島市中区本川3-3-2 空鞘稲生神社 御大典紀念樹・碑  大正四年十一月十日
紀元二千六百年・石碑

07.02.21.撮影
紀元二千六百年・石碑 



「天皇関連碑など」編



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空鞘稲生神社
被爆した灯籠、狛犬
御大典紀念樹・石碑
(境内に移設の)出雲大社道・道標
(境内の)イチョウ





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