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| 資料によると、旧出雲石見街道(通称:雲石街道)沿いに設置されている往来安全の碑が被爆したものとして記載がありました。 |
| 爆心地より≒1,830m 被爆当時(旧町名)三篠本町一丁目 |
| 交流ウォークの時にはじめてこの筋が雲石街道であったことを教えていただき、この往来安全の碑を知りました。可部で出雲と浜田(石見)へ分岐するのかと知り少しずつでもわかってくればと思っているのですが。 |
| 04.10.19裕・記編集 |
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| 関連頁:(現在は空鞘稲生神社に移設されている)出雲大社道・道標 |
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04.10.15撮影 |
| 広島市西区三篠町1丁目14番 |
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04.10.15撮影 |
| 正面:往来安全 |
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04.10.15撮影 |
| 側面:明治八(1875)年十一月建之 |
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| 裏面 |
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可
部
町
四
里
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石
州
濱
田
二
十
五
里
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出
雲
大
社
四
十
一
里 |
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里(り)=距離の単位
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律令制では5尺を1歩とし300歩(五町)を1里とした(一般には6町1里も行われた)。
近世では36町(3.6〜4.2km)。メートル条約加入後、1891(明治24)年に43.2kmを11里(里は約3.927km)と定めた。 |
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04.10.15撮影 |

04.10.15撮影 |
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| 石仏地蔵菩薩さまの由来 |
これ清兵衛や、我こそは汝持ち田の下に永く埋れている地蔵菩薩なるぞ
地の中に埋れていては人間どもをすくうことが出来ない何本目の稲の根の下であるよく頼んだぞ
パッと御光が差したと思ったら牛尾清兵衛さん地蔵菩薩の姿がきえていた
清兵衛さんは、毎夜毎夜この不思議なお告げ夢とは思わないほど現実性があり下郎にほりおこさせた
あにはからんやお告げ通り地蔵菩薩様が埋れていたこれより可部に四里、浜田へ二十里
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| 明治十(1877)年を記念してお堂を建てられた |
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